
まず「水に覆われた路面」を作る
12月7日、岡山国際サーキット。さすがにこの時期の朝は冷え込む。気温、路面温度ともにひと桁の数値だ。ひとつだけシャッターが上がったピットの中には、漆黒のカーボン地肌に赤の斜めストライプを配したADVANカラーのSF14がただ1台。そのピット裏には同じカラーリングの大型貨物トレーラーが2台。その荷台に積み上げられているのは溝が刻まれたスーパーフォーミュラ用のタイヤ、すなわちウェット路面用のタイヤ。




コース上では朝一番から、荷台に楕円・筒形のタンクを載せた小型トラックが、2台ずつペアを組んで静かに走り続けている。コース内の池から汲み上げた水を、コース路面全域に散水しているのだ。コース全域にわたって路面が水膜で覆われたところで、散水車は退去。ここでSF14がピットを後にする。こうして、来シーズンに向けたスーパーフォーミュラ用ADVANウェットタイヤのテストが始まった。

とはいえ、朝いちの時間帯は路面温度が低すぎて、車両とコースの状況を確認するのが精一杯。しばらく経つとコースを覆うように広がっていた薄い雲が消えて太陽が顔を出し、陽光がコースを暖めて、ようやくタイヤのトレッドも発熱するようになってきた。本格的な「テスト」はここからだ。しかしその一方で、コースに撒いた水は刻々と流れ、蒸発してゆく。SF14がピットに戻るのとタイミングを合わせて散水車がコースに出て行く。

コース全面に水が広がったらSF14がコースイン。まずタイヤを暖め、グリップが出てきたところでドライバーはグリップの限界を確かめる走りを組み立てる一方で、各コーナーでのマシンの向きの変わり方、タイヤが路面を捉える感触、その中から滑る時の挙動などを確認。そこでピットに戻り、トラックエンジニアや横浜ゴムのエンジニアにタイヤの振る舞いを伝える。このテストプロセスを1~2回繰り返したら、全コース散水。それが終わるまでSF14はピットで待機。これがこの日の、そして人工的にウェット路面を作ってタイヤをテストする時の基本パターンである。
タイヤを「評価」するのは難しい
今シーズンの実戦でウェット路面となったセッションを振り返ると、ヨコハマのウェットタイヤの特性について、路面温度が低い時や、路表面の水量が多い状況で、もう少しグリップが出てほしい、という声がドライバーの中から挙がっていた。その対応策のひとつとして、当初準備した仕様よりも作動温度領域が少し低いウェット用“ソフト”コンパウンドをタイヤ表層に「載せた」仕様を、シーズン中盤のツインリンクもてぎ戦から準備したのだが、今回の「比較用基準タイヤ」はこの仕様。タイヤの細かな仕様を変えた時にどんな特性や感触になるか、という「評価」はとても難しいので、まず比較基準となるタイヤを履いて走り、すぐに評価対象のタイヤに履き替えてできるだけ同じ状況、同じ走り方をして、どこが違うか、どこが良くなったかを感覚でつかみ、言葉で伝えたり、特性項目別に点数や「+・-」を付ける、というやり方がしばしば使われる(レーシングタイヤだけでなく量産車用タイヤでも)。今回のテストも、来季用の性能向上策を確認するという狙いからして、現行品との相対比較を基本に進められたわけだ。

そして、この1日の中でトライされたのは、トレッドパターン、すなわち接地面に切った溝の形や太さ、それによって区切られるブロックの形状がどうなっているか、の違いが標準品と合わせて3種類。トレッド部分に使うコンパウンドが同じく4種類、加えてタイヤとしての骨格構造が異なる仕様も持ち込んで確認したとのこと。評価するドライバーとしては、これらをそれぞれ標準仕様と乗り比べる中で、ピットアウト~5周前後~ピットインの評価走行パターンを13回繰り返して走っている。
短い溝の1本、ゴムの微妙な調合が、走りの違いを生む

一見同じに見えるトレッドパターンでも、ブロックの一部がつながっているか、そこに溝を切ってそれぞれ独立させるかによって、ウェットタイヤの作動特性は変化する。路面と擦れ合い、そこで生ずる摩擦力によってトレッド面のブロックはたわみ、変形する。ブロックを独立させれば、力を受けた時のたわみは大きくなり、それが戻ることを繰り返すことで発熱も増える。溝の幅を広げ、深くすれば、接地面が路面に踏み込んで行った時に、そこにある水の膜を切り、接地面から吐き出す「排水性」は良くなる。ブロックが独立して変形しやすくなるので発熱も良くなるけれども、逆に踏ん張ってほしい時に腰砕けのような動きが出たり、ブロックのエッジ(角)部分の摩耗やちぎれが大きくなるのが一般的な傾向。だからかつては降水量と水膜の厚さ、路面温度などの変化が大きい時、既存のウェットタイヤに現場で溝を切り増す「手彫り」を、サーキットのタイヤサービスで行う情景をしばしば見かけたものだ。今日のスーパーフォーミュラではワンメイクかつ1種類のデザインを年間通して使うことが義務付けられているため、現場での手彫り作業はもう見かけなくなった。

今回のテストの中で、2016年標準仕様のトレッドパターンにわずかな加工を加えただけの「微調整」仕様がひとつあったが、じつはそれがけっこう良い評価でタイムも出ていたという(コンディションが刻々と変わっていたので、ラップタイムでの比較は難しいのだが)。各々のコンパウンドや構造の違いがどんな振る舞いを見せるか---温まりやグリップの特性、車両挙動などなど---、ウェットタイヤのパフォーマンスを改善する有効策が確認できたであろうことは、ヨコハマタイヤのエンジニアの皆さん---実戦現場担当から基礎力学、コンパウンドそれぞれの専門家まで---の表情からも明らかだった。来年のスーパーフォーミュラでは、雨でも「攻める」ドライビングが、そしてその競演による戦いが期待できそうだ。もちろんこの日の気温・路面温度では、夏場の高温ウェット路面でどうなるかは確かめようもなかったけれど、今年のヨコハマタイヤの実績、ドライ、ウェットともに十分以上の摩耗耐性を示したことを思い返すと、そこは心配しなくてもよさそうに思える。むしろ、摩耗による性能低下がもう少しあったほうが、戦いはおもしろくなるかもしれない。
もうひとつの見どころ、「空力を“見る”」
“観る側”としては、陽が差す中でウェット路面を作ってマシンを走らせることで、いつもは観察するのが難しい「気流」のふるまいがクリアに見えることだけでも、こうしたテストにはいつもとは違う面白さがある。ウェット路面を高速で転動するタイヤが巻き上げるウォーター・スプラッシュ(微細な水滴群)が、マシンを取り巻く渦や気流に乗って白いベール状に動き回り、拡散してゆく。もちろん雨の日の走行でも同じ現象は起こっているのだけれど、まわりには雨粒が落ちていて、光も暗いから、こんなにきれいに「空気の動き」が見えることはほとんどない。

止まったマシンの周囲に風を送る試験設備、「風洞(ウィンドトンネル)」での試験でも、あるいはコンピューターを駆使して空気の流れをシミュレーションする「数値流体解析(CFD)」でも、止まった車両に対して空気(風)を流すものであって、「そこにある」空気の中にマシンが突っ込んでいき、空気を押し退け、そうやって動かされた空気が元の場所に戻ろうと渦を巻いて動くという、この「現実」は再現できない。この日の岡山国際サーキットで見たSF14を包み込み、オーロラのように揺れ動き、後ろに大きく跳ね上がって伸びる白いベール。それを専門的な表現では「空気流の“可視化”」と言う。
今日的なデザインの純競争自動車が走るとその周囲で空気はどう動くのか。タイヤから巻き上がってマシンにまとわりつくように揺れ動く白日の霧は、理屈に沿ってイメージを広げる材料になるのはもちろんだが、ただ単純に自然界と人間の創造物が織りなす美しい情景として、強い印象を残しつつ、数瞬で消えてしまう美しい「画」ではあった。