最終戦第2レースで劇的な優勝を飾り、フォーミュラ・ニッポン参戦2年目でタイトルを獲得したNo.2 中嶋一貴(PETRONAS TEAM TOM'S)。有力なチャンピオン候補と言われ、常にランキング上位で争ってきた。それだけに最終戦では、思わぬ不調に冷や汗だったファンも多かったろう。そのレースでの心境も含め、中嶋にこの1年を振り返ってもらった。
去年はランキング2位。だから、今年はチャンピオンを獲ると言ってきました
— タイトル獲得から約1ヶ月が経ちましたが、改めてチャンピオンになった感想を教えてください。
中嶋一貴(以下、一貴) あまり(チャンピオンを)獲った当初と変わってはいないんですが、とにかく今年1年、そのためにやってきて、実現できたのは嬉しく思います。フォーミュラ・ニッポンでは、去年ランキング2位で、今年はチャンピオンを獲ると言ってきました。それを実現するためには、1戦1戦が重要。だからこそ思い切ってできる部分と、逆にポイントを取らなくちゃいけないという中で、どれだけリスクを取っていくのかという部分がありました。その状況の中、1戦1戦、自分にプレッシャーをかけてやってきたので、長かったですし、厳しい1年でした。そこで形に残るかどうかで大きく違いますからね。
— 昨年、参戦初年度で、早くも優勝しましたし、ランキングも2位でしたが、どのあたりから自信を持って戦えるようになりましたか?
一貴 去年の開幕から2戦は予選で苦労しました。でも、そのレースで何とか結果を出せたのは大きかった。オートポリス(第3戦)では優勝しましたけど、1つ勝たないとタイトルには目が向かないですし、自信もつかないですから。その後は、自然にリズムに乗って行けたと思いますし、走り慣れている富士(第4戦)に行けば…と思っていました。その富士からは、手応えを掴みましたね。
— 今年のオフ、2年目のシーズンを迎えるに当たっては、テストでどのような感触を掴んでいましたか?
一貴 去年の初めは、ベースセットアップが(前年在籍した)大嶋選手(No.7 大嶋和也)のもので、アンドレ(僚友のNo.1 ロッテラー)とは方向性が違ったんですけど、次第にアンドレ寄りになっていきました。ただ、シーズン中はジオメトリー(サスペンションのセッティングの一種)とか大きなものをトライできなかったですし、その状況でも結果が出ていたので、“これでイケる”と。
でも、今年のオフテストでは、去年のシーズン中に詰め切れなかった部分を突き詰められて、トップタイムを出したりもできるようになりました。去年はあまりセッション中のトップタイムってなかったと思うんですけど、チャンピオンを獲るためには“一発も必要”と分かっていたので、それも手応えになりましたね。
DANDELION RACINGとウチの得意・不得意が分かれていたから富士が重要だった
— 今年は、開幕戦の鈴鹿で幸先のいい優勝を果たしました。その優勝も含めた、序盤戦をどう振り返りますか?
一貴 チャンピオンを獲ると思って臨んだシーズンの最初で勝つっていうのはいいですよね。去年のオートポリスでの優勝は、展開を生かした部分もありましたけど、そういうことがなくしっかり勝てたのは大きかったですし、それが鈴鹿だったというのも良かった。次のもてぎは3位でしたけど、悪くはなかったです。燃費のこととか、考えが及ばなかった部分も残りましたけどね。
その次のオートポリスは、去年課題の大きかったレースですけど、ここでそこそこまとめられれば、『今年はイケるかな?』っていうのがありました。予選では思いのほかグリップしなかったり、トラフィックに引っかかったりもしましたけど、内容としてはもう少し上に行けてもおかしくないレースだったと思いましたし、それほど悲観的ではなかったですね。ここでタイトル争いのライバルは、JP(No.19 ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ)とアンドレになるのかなと思いました。2人ともオートポリスではノーポイントでしたしね。
— 今年好調だったDOCOMO TEAM DANDELION RACINGに関しては、あまりライバル視していなかったんでしょうか?
一貴 いえ。開幕の鈴鹿から意識していました。去年のDANDELION RACINGは、予選で速くてもレースのペースが良くなくて、その点が苦しそうでした。けれど、今年は開幕戦から塚越選手(No.41 塚越広大)の決勝ペースが速かった。オートポリスでもレースのペースが良かったですよね(塚越は優勝)。だから、シーズンを通して、手強いライバルになるとは思っていました。ただ、サーキットによって、向こうとウチの得意・不得意が分かれるんですね。だから、オートポリスの次、僕らが得意な富士(第4戦)でしっかりポイントを取るのが重要だと思っていました。
— その富士では雨が降り、セミウェット路面&スリックタイヤで、終盤までトップを走っていましたけど、最後はロッテラー選手にかわされて2位。残念だったのでは?
一貴 確かに悔しい思いは強かったんですけど、とにかく富士は難しいレースでした。チャンピオンシップを考えなければいけない中、どれだけリスクを背負うかというところで、あそこまでトップを守っていただけに悔しさはあります。
でも、ああいう時は、後ろにいる方がイケイケじゃないですか。僕も、それに付き合ってプッシュしてミスしてしまった。守りに入って抜かれたんじゃなくて、攻めて抜かれたんです。“オレもまだ若いな”って思いましたし(笑)、あそこでもう少し抑えておけば良かったかなとも思いましたよ。
あのレースではポールポジションも獲っていましたし、(決勝)2位というのは喜べる結果ではない。その一方、塚越選手がノーポイントだったので、そんなに最低でもなかった。もちろんあそこで勝っていたらもっと楽にシーズンを進められたとは思います。ただ、変に守りに入らなかったっていう部分で成長もあったと思いますね。
— そこからの2戦は、塚越選手に先行されて、少し苦しかったかなと思いますが?
一貴 夏のもてぎ(第5戦)は調子も良くて、予選ではポールポジションを獲れたんじゃないかっていうぐらい、手応えがあったんですね。結果は3番手でしたけど。でも、レースではスタートでポジションを落とした分、3コーナーでオーバーテイクを試みたんですけど、上手く行かなかった。塚越選手との差を考えると、前に行かなくちゃいけなかったですし、予選の結果から見れば、アンドレよりも前に行かなければダメだったので、フラストレーションが溜まりました。
そこからは1ヶ月半のインターバルがあり、空いた時間はセットアップのことを考えたりしていましたね。SUGO(第6戦)は自分自身の感覚をサーキットに合わせないと速く走れないと思うんですけど、そこを頭の中でイメージして、繰り返し練習していました。去年もSUGOでは何とかQ3に行けるぐらいで、決して速くはなかったですし、そこを克服できるか不安はありましたね。でも、レースウィークの土曜日朝に走り始めてみたら、ペースが良かったので、その不安は解消されました。予選ではDOCOMO TEAM DANDELION RACINGの2台が速かったですけど、僕もそれなりにいい内容だったと思います。
ただ、このもてぎとSUGOに関しては、自分の手応えほどは結果が出なくて、流れは悪かったです。SUGOが終わっても、まだポイントリーダーっていうのが、信じられないぐらい。『厳しいな』っていうのが、正直な所でしたね。でも、最終戦の鈴鹿は開幕戦でも悪くなかったですし、“チャンスはある”と。そこからまた1ヶ月ちょっとインターバルがあったので、その間に気持ちを切り替えて『悪い流れも変わっているかな?』と期待していました。富士のWEC(10月の世界耐久選手権第5戦)でいいレースをすることができて(優勝を果たす)、気持ちも盛り上がっていましたね。
最終戦第2レースの前は、もうやるしかないと……
— でも、その鈴鹿では、予選から予想外に苦しみました。最後は劇的な逆転でしたけど、あのレースをどう思っていますか?
一貴 レースが近づいてくるにつれて、何となくイヤ〜な感じがあって、重さを増していました。土曜日朝のフリー走行を終えた時には、その重さがより増しました。タイム差もありましたし、自分のクルマのフィーリングも今イチだったので、思っていた以上に厳しいな、と。そこから予選に向けて、できることはやりましたが、Q1は結局全然ダメで。ありえないぐらいグリップしませんでした。しかも、ダブル・チェッカーを受けてしまった。Q2はそれなりでしたけど、それでも“こんなものかな?”というのがあの位置でしたね。
あの日の夜は、ある意味スッキリというか、開き直っていました。第1レースでは正直ポイントを取ることはできないと思いましたし、自力チャンピオンも難しい。その分、タイトルどうのこうのという重圧はなくなりました。もちろん第1レースでも、できるだけ抜くつもりではいましたが、現実的にはああいうレースになってしまった。
第2レースの前は、逃げるわけにも行かないし、もうやるしかないという気持ちでした。チームの中で、オープニングラップに前にいた方が、1周目を終えて先にピットに入るという風に取り決めていました。だから、追い上げるためには、スタートを決めて1周で入りたい。その点、9番手グリッドだったので、ストールしたらどうしようとか考えず、思い切り行くことができましたし、アンドレが珍しく失敗していましたよね。それで前に出て、1周でピットに入りましたが、僕の前にいる選手は誰も入りませんでしたし、僕自身のアウトラップも速くて、その時に“ちょっと来てるな”と思いました。塚越選手のペースが良くなかったので、彼の前には行けるだろうとも思っていましたね。
それでもJPが前にいるのは分かっていましたし、その事実は冷静に受け止めていたんですが、突然130Rを過ぎたところでJPがスローダウンして…。あのトラブルはちょっと信じられなかった。あれは完全に外的要因で、僕にとってはラッキーとしかいいようがない出来事。でも、冷静に考えると、SUGOでは自分にとって意味が分からないようなアンラッキーもあった。1年やっていれば、良いことも悪いこともあるし、人生楽ありゃ苦もあるさっていう感じです(笑)。
今年は、全員アップダウンがあるシーズンだったと思いますけど、僕は1年を通して結果を出すことを意識していましたし、自分がやるべきことをしっかりやり切ったのも、チャンピオンを獲れたひとつの要因ではないかと思います。
国内トップフォーミュラで続けて結果を出すのも、ひとつのチャレンジ
— その鈴鹿の結果、見事チャンピオンになりましたが、来年以降の目標は?
一貴 1回チャンピオンになったからといって、それで終わりではない。この後も継続して、国内トップフォーミュラで結果を出すっていうのは、ひとつのチャレンジだと思っています。
またもう1つの目標としては、ル・マン(24時間レース)ですね。今年、ル・マンに初めて出て、あのレースの大きさを肌で感じて、“優勝したい”と思いました。そういう新しい目標を持つのはドライバーとして大事なことだと思います。もちろん日本のレースでも、走る以上はどのカテゴリーでもタイトルが目標ですよ。