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Special Interview

2012 チーム・チャンピオン DOCOMO TEAM DANDELION RACING 村岡潔 監督

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トップフォーミュラの魅力は“最速”だということ。その中でチャンピオンになるのは“一番速い”ということ。その気持ちを、ずっと持ち続けていた

最終戦が終わった表彰台で、2012年のチームチャンピオンを獲得したDOCOMO TEAM DANDELION RACINGの村岡潔監督は、人目もはばからずうれし涙をこぼした。手の届くところにあったドライバーズを逃してのチームタイトルだけに、憮然とする監督も少なくない。だが、村岡監督は違った。彼にとって、このタイトルの意味とは何であったのだろうか。

コツコツと続けられてきたのは、モータースポーツへの情熱があったから
— 決定から少し時間は経ちましたが、改めてチームタイトル獲得の感想を教えてください。
村岡潔監督(以下、村岡) 日本人の若手2人、しかもトップランナーではない2人がチームとともにトップに上り詰められたのは、とても嬉しいですし、名誉なことだと思いますね。フォーミュラ・ニッポンにとっても、若く、しかもこのシリーズで育った日本人が活躍したのは、重要なことだったと思っています。

— 1999年の参戦開始から14年目で、初のチームタイトル獲得となりましたが、その間は長かったですか?
ph 村岡 長いと言えば長いですよね。1台体制から始まって…。その当時は大変でした。最初に参戦する時は、シャシーも選べない状況などがありましたから。そこからスタートして、ドライバーズタイトルを獲った2004年(リチャード・ライアンが獲得)あたりまでは、チームで自由にドライバーも選べましたけど、今ではエンジンサプライヤーがメーカーになったので、SUPER GTとのパックでドライバーも選ばなければならない。フォーミュラ・ニッポンだけウチで乗るというのは難しい状況です。
 そういう風に時期によっていろいろありますが、そこを克服しながらコツコツと続けることが大切ですし、続けている中で、いい時も悪い時もあると思いますね。そうやってコツコツ続けられるのは、モータースポーツへの情熱でしょう。私自身、モータースポーツが好きですし、スタッフ皆がいろいろな条件を克服しようとやってきてくれた。そういうスタッフに助けられたり、逆に私がスタッフを引っ張って行ったり、そういう風にやってきました。

1976年にF1を見てから、ずっとトップフォーミュラをやりたかった
— TEAM DANDELION RACINGは、最初にJTCC(全日本ツーリングカー選手権)に参戦され、その後は一貫してフォーミュラ・ニッポンを続けられていますが、その理由は?
村岡 もともとトップカテゴリーのフォーミュラをやりたいと思って作った会社ですからね。一時的には、スポンサーさんの意向もあり、その刷り合わせの中でJTCCをやっていた時もありましたが、その後は回りの環境も整って、スポンサーさんの側もフォーミュラ・ニッポンをやりたいという要望を出してくださったんです。
 とにかくトップフォーミュラの魅力は、最速だということ。その中でチャンピオンになるというのは、一番速いということですから。そういう気持ちは、ずっと昔から持っていました。1976年、富士で行われた雨のF1を見てから、ずっとトップフォーミュラをやりたかった。だからこそ、チームとしてフォーミュラ・ニッポンにデビューできた時は、嬉しかったですね。

— 2004年にドライバーズタイトルを獲った後、しばらく成績的に苦しい時期もありましたが、一昨年、田中耕太郎エンジニアとロイック・デュバル選手を獲得したあたりから、再浮上したように思います。やはり、その部分はチームにとっても変化のきっかけになりましたか?
村岡 チームの補強をするために、常に人材の育成や補強はしていますが、一昨年はいいエンジニアを探していました。そこで、田中さんに声をかけたら、ちょうど中嶋企画さんを離れるという状況だったんですね。またロイックがチャンピオンを獲った翌年に、ウチに来たということで、チームとしても“チャンピオン争いできるようにがんばろう”と意識して、スタッフ皆ががんばったと思います。
 そこはチームとして、長年やってきたことも役立ったと思いますね。いくらチャンピオンを獲ったドライバーだからといって、どこのチームでも勝てるかというと、そういうことはないと思いますから。

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今の2人になった時、周りに“1年待ってくれ”と言った
— 昨年からは、日本人の若手2人になりましたが、何か変化はありましたか?
村岡 ある意味、チームがドライバーをリードする部分が大きくなって、それがチームタイトルにもつながったんじゃないかと思います。それを考えると、ロイックが来た時に、チームが持っている力を100%、120%まで蓄えて、ノウハウや経験という部分になった。
 昨年、日本人の若手2人という体制になった時には、成績が出るまで“1年待ってくれ”と周りに言いました。それを考えると、今年の結果は予定通り。Honda系では、エースとして小暮卓史選手(No.32 NAKAJIMA RACING)がいますけど、伊沢君(No.40 伊沢拓也)と塚越君(No.41 塚越広大)には、その小暮選手を目指して、追い越して行ってもらわないと。まず、そういう風に勝つ意識を持ってもらうことが大切でした。
 去年1年は、勝てそうで勝てないレースが幾つもありましたよね。そこで、シーズン中からファクトリーやサーキットでミーティングして、勝つためにチーム全体として何が必要か考えなければ、ということを言い続けてきました。その繰り返しと積み重ねですね。成績が少し良くなってくれば、みんなもっと上へ上へと思いますし、テストでトップタイムが出るようになれば、当然勝ちたい。
 ドライバー2人に関しても、彼ら2人がずっと“勝ちたい”と思っているのは感じていましたけど、去年は勝てなかった。その中でも、最初からこのチームではダメだと思ってしまうのではなく、“努力し甲斐があるチームだ”と思ってくれて良かったと思います。

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伊沢君とは苦労をともにしてきたので、初優勝は喜びもひとしおでした
— 今年は開幕戦こそ勝てませんでしたが、早くも第2戦のオートポリスで、チーム初のワン・ツー・フィニッシュを達成していますが、その時のお気持ちは?
村岡 予選結果から言って、普通に行けは勝てるだろうとは思っていたんですけど、実際にワン・ツー・を達成してみると“いいもんだな〜”と。塚越君にとっても初優勝だったので、嬉しかったですね。
 シーズン後半のSUGO(第6戦)でのワン・ツーは、伊沢君が初優勝という形でしたけど、その時はオートポリス以上に嬉しかった。伊沢君は、ホントにウチのチームが良くない時から一緒にスタートして、苦労をともにしてきたので、喜びもひとしおでした。

— 最初にオートポリスでワン・ツーを達成されたあたりから、タイトルは意識されていましたか?
村岡 いえ。タイトルに関しては、最終戦になるぐらいから考えたぐらいで。欲しいと思って獲れるものじゃないですし、それよりもたくさん勝ちたいという気持ちでした。
 もちろん欲しいか欲しくないかと言ったら、欲しいですけど、そう思ったからと言って、すぐに獲れるものではない。ウチはスポンサーさんと一緒に日々前進しているようなチームですし、コツコツやって力を溜める中で、獲れる時が来たら獲れるだろうという感じでした。

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日本人の若手2人とやって獲れたことが嬉しくて、表彰台では涙が出ました
— 結果、最終戦まで争って、ドライバーズタイトルこそ獲れませんでしたが、初のチームタイトルを獲得しました。
村岡 そうですね。嬉しいの一言でしたし、幸せな状況でした。レースに関しては、スタートしたらあとはドライバーたちがやることで、勝つ人が勝つ。僕としては、ウチの2人のドライバー同士でのクラッシュだけは避けて欲しいという気持ちもありましたが、そこは何も言いませんでしたし、何を言っても当たる時は当たる。そういう意味で、平等に勝負をさせてきました。それが成績にも表れたんじゃないかと思います。
 ドライバーズタイトルを獲り逃したことに関しては、ドライバー2人が特にガッカリしているでしょうね。もちろん獲れそうだったので、チームの面々も残念だったでしょうが、ドライバーズタイトルは最終的に速かった人が獲るものなので仕方がない。ウチの2人は、まだ勝つことに対する執着心や経験が少なかったのかなと思います。そこは一貴君の執着心や経験の方が大きかったのかなと。
 でも、今年いずれも初優勝したことで、ウチの2人も勝つのがいかに大きいことかということは分かったと思います。その自覚、勝つ大切さは経験しないと分からないことですし、意識は変わってきたんじゃないかと思いますね。
 外国人ドライバーたちが強さを見せる中、その2人ががんばってくれてチームタイトルを獲れたことに関しては、感謝です。HondaさんがSRS-F(*)から育てた2人がいずれも優勝して、チームタイトルも獲って、理想的だったんじゃないですか? そこで速い外国人ドライバーを1人起用して獲るのは、簡単だと思います。でも、自分の子供みたいな年齢の日本人の若手2人とやって獲れたことが嬉しくて、表彰台では涙が出ました。これまでのスタッフの苦労も見てきましたしね。
 昔、服部(尚貴)さんと苦労して一緒にチーム作りをしましたが、その恩返しができたのも良かった。JAFグランプリ(富士スプリントカップ)で会った時に、服部さんからは『おめでとう』と言ってもらいましたし、リチャード(ライアン)からも『僕が、このチームの歴史に関われたことを誇りに思うよ』と言ってもらったんですけど、その2人が喜んでくれたのも嬉しかったですね。

*:SRS-Fは鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラの略でHondaと鈴鹿による若手ドライバーの育成システム。

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