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2009 Champion "Loic Duval" Interview -Part 1
チャンピオンが決まった瞬間は、空を飛んでいるような気分だったよ

チャンピオン・インタビュー 第1回

 激しいレースが連続した2009年の全日本選手権フォーミュラ・ニッポン。その熱戦を制しチャンピオンとなったのは、ロイック・デュバル(No.31 NAKAJIMA RACING)であった。フォーミュラ・ニッポン参戦4年目で初めて獲得した彼に、今シーズンのこと、そしてフォーミュラ・ニッポンのことを聞いてみた。今回は、まず今シーズンの彼の戦いを振り返ってもらおう。

“完全なチャンピオン”になれて、ハッピーだし、誇らしく思う

Q:チャンピオン決定から約2ヶ月が経ちましたが、あらためて今の気持ちを聞かせてください。

ロイック・デュバル(以下、LD):そうだね。タイトルを決めたのは2ヶ月前だけど、いまでもハッピーだし、今年の結果をとても誇りに思っているよ。一番最初に参戦した時からここまでの道程は、常に難しいものだったからね。
 まず1年目は、クルマやチームのことを知らなければならなかったし、コースのことも知らなければならなかった。2年目からはタイトルを欲しいと思っていたんだけど、その年からとても優秀なドライバーである小暮選手(No.32 小暮卓史/NAKAJIMA RACING)がチームメイトになって、状況は少し難しくなってしまったよね。それに、僕自身も小さなミスを色々としてしまったから。3年目となる去年、僕自身は充分に戦闘力があったと思うよ。だけど、松田選手(No.1 松田次生/LAWSON TEAM IMPUL)が、僕らからは遠く離れた位置にいた。どんな特別なことがあったんだか、それはよく分からないけど。
 でも、今年新しいマシンになって、ようやくタイトルが獲れた。チームと素晴らしい仕事ができて、3回のポールポジション、4回の優勝を果たすことができたのは、“完全なチャンピオン”と言っていいと思うよ。その結果に対して、ハッピーだし、誇らしく思っているんだ。

Q:今年、フォーミュラ・ニッポンはシャシー(FN09)もエンジンも新しくなりましたが、それがあなたにとってはアドバンテージになりましたか?

LD:今年の初めから、この変更が僕らにとっていいことだっていうのは分かっていた。僕と小暮選手は、この3年間、お互いのことを知っているし、両ドライバーともチームのことがよく分かっている。どういう風に一緒に仕事をしていけばいいかとか、そういうことがね。つまりパッケージとして出来上がっていた。僕が初めて日本に来た年も、新車が導入されたシーズンだったけど、僕はチームのことも知らなかったし、クルマのこともコースのことも知らなかった。それに対して、他のドライバーはチームのこともコースも知っていたんだ。そういう意味では、今年はチームが一丸となって仕事をすることができたし、それが若干のアドバンテージになったかも知れない。
 でも、さっき言ったように、去年ローラ(FN06)を走らせていた時から、松田選手を除けば、僕らのクルマはとても速かったと思うし、戦闘力も高かったと思うんだ。2年前から、僕らのパッケージはとても良かったと思う。

Q:今年は開幕戦富士でブノワ・トレルイエ選手(No.2 LAWSON IMPUL)が優勝し、第2戦鈴鹿であなたが優勝しました。その頃から、今年のタイトル争いはその2人の間で争われるのではないかと予想されていましたが、その当時、自分自身としてはどのように思っていましたか?

LD:実際に、今年のタイトル争いは、僕とブノワの間で繰り広げられたわけだから、皆さんの予想は、正しかったよね。僕はシリーズ序盤から、僕らのクルマの戦闘力が高いって感じていた。開幕戦では、僕らはダウンフォースのセットアップを少し失敗したし、給油でもミスがあった。空力セットアップの問題があって、僕は開幕戦でブノワを抜くことができなかったし、給油では自分たちが入れなければいけない量よりも、8〜10秒ほども長く給油してしまった。その影響でクルマは重かったし、ピットストップでも大きくタイムをロスしてしまった。そういうミスがあったから、開幕戦はそれほど素晴らしい結果を残すことができなかったんだけど、その一方でクルマの戦闘力が高いっていうことは感じていたんだ。
 それに僕とブノワとの間で、タイトルを争うことになるんじゃないかとも思っていた。彼はとても素晴らしいシーズンのスタートを切っていたし、僕が第3戦のもてぎを落としてしまった時も、彼はとても戦闘力が高いって分かっていた。その一方、僕は自分たちのクルマがとてもいいと分かっていたし、小暮選手も手強いだろうなって思っていたんだ。だから、シリーズ序盤、僕は、タイトル争いに関して、僕とブノワと小暮選手、その3人で争うことになるんじゃないかと思っていたよ。

小暮選手との戦いは、いつもお互いにフェアだった

Q:あなたの言う通り、第3戦もてぎでは小暮選手が優勝してタイトル争いに名乗りを上げ、第4戦鈴鹿、第5戦富士ではあなたが連勝しました。その頃から、NAKAJIMA RACINGの強さが際立ってきたわけですが、チームの状況や雰囲気はどういう感じでしたか?

LD:その頃から、僕らは今年タイトルを獲ることができるんじゃないかって思っていたよ。ただ、自分たちの目標に対して、集中して仕事を続けるだけだった。チームとして3連勝していたし、鈴鹿の2回目のレースの後、僕はチャンピオンシップをリードしていたし、その頃の気分は良かったよね。
 僕は、その頃からタイトル争いは、僕と小暮選手の間での戦いになるんじゃないかと思っていたし、ただ突き進むだけだったよ。その段階で、ブノワがランキング2位の位置にはいたけど、僕らの方が彼らよりも戦闘力が高いって分かっていたからね。

Q:チームメイトの小暮選手が最大のライバルと思い始めてから、2人の間のコミュニケーションや小暮選手に対する気持ちが変わったというようなことはありましたか?

LD:いやいや、そんなことはないよ。僕らは常に同じ関係を保っているし、彼も僕もいつもお互いにフェアだと思う。いくら僕らがお互いに戦っていて、他チームの誰よりも前にいたいと思っているとはいえ、彼がポールポジションを獲った時、僕はハッピーだった。僕がポールポジションを獲った時には、彼もハッピーに感じてくれていると思うよ。
 2人がお互いにタイトルを争っている状態だったけど、僕らの精神状態は全く変わらなかったんだ。それは素晴らしいことだったと思う。

Q:昨年まで、あなたが獲得したポールポジションは通算2回でしたが、今年は1年で3回のポールポジション獲得。しかも、ポールポジションを獲得したレースでは、すべて優勝しています。昨年までと今年、ポールポジションに対する考え方で何か変わった部分があったのでしょうか?

LD:今年は田中耕太郎エンジニアとともに、ニュータイヤに合ったクルマのセットアップを見つけることが、今までよりも容易になったと思う。去年までのローラ(FN06)の時は、予選で完璧なクルマを仕上げるという点で、いつも少しもがいていた。レースでのクルマはいつも良かったんだけど、予選に関しては常にちょっとした問題があったんだ。
 その点、今年は予選に関してもいいクルマを仕上げていく方法が分かっていた。いつも乗っていて、今までよりもいい感触だったし、セットアップも今までより僕に合っていたから、今までよりもプッシュすることができたんだよね。

Q:今年、ポールポジションを獲ることは、あなたにとって最も重要なことでしたか?

LD:僕は今までも常に“ポールポジション・マン”じゃなかったんだよね。それよりはもっと“レーサー”というか、レースを大切に思っている。ポールポジションより大事なことは、レースで勝つことや安定性なんだ。
 ポールポジションを獲ることで、もちろんレースは容易になるよ。でも、ポールポジションを獲ったからといって、いつも勝てるわけじゃない。そういう意味で、僕にとって一番大切なのはレースなんだ。

第7戦は難しい戦いになると思った

Q:チャンピオンを決めた第7戦オートポリスでは、予選でクラッシュして下位グリッドに沈み、スタート後の1コーナーでもコースからはみ出して最後尾に落ちてしまいました。あの時の気持ちはどんな感じでしたか?

LD:レースのスタートではミスしたわけじゃなく、リチャード・ライアン選手(No.40 DOCOMO DANDELION)に押し出されてしまったんだけど、予選ではミスしてしまったよね。その時には『これは難しい戦いになるな』って思ったよ。ただ、作戦も含めてできる限りのことをして、何ポイントか獲り、チャンピオンシップでのリードを守りたいと思っていたよ。それが僕の考えていたこと。つまり、『OK。ここでタイトルを決めるのは難しいから、何ポイントか獲れるところまで戻ろう。タイトルを決めるのはSUGOだ』って思っていたんだ。
 ところが、僕らの作戦がとても良かったし、ピットストップの後コースに戻って、単独走行をしている間、僕のクルマはとても速かった。その結果、3位でレースを終えることができたし、完璧だったよ。

Q:結果的には3位になりましたが、第7戦の予選の後は、ガッカリしましたか?

LD:もちろんああいうミス(コースアウト&クラッシュ)をしてしまって、自分自身にガッカリしたし、その前のQ2のイエローフラッグにもガッカリした。あのイエローフラッグが出された瞬間、僕はすでにポストの至近距離まで来ていて、すでにコーナーの入り口の方をチェックしていたんだ。その時、僕の頭上でイエローフラッグが出されたんだけど、(路面とフラッグの)両方を見ることはできなかった。だから、僕の感覚としては『イエローフラッグなんて見ていないよ』っていう感じだったんだよね。
 その後、競技役員からTVの映像を見せられて、『ほら、ここにイエローフラッグが出ているけど、キミはフラッグが出てからここを通過している』って言われて、状況を説明したんだ。その時は、彼らが僕を疑っているんじゃないかって感じたよ。でも、最終的にはできることすべてをやって、レースでポジションを戻すことができたんだ。

Q:チャンピオンを決めた第7戦でチェッカーを受ける前、そしてチェッカーを受けた瞬間は、どういう気持ちでしたか?

LD:これで自分がチャンピオンだっていうことは分かっていたから、素晴らしい気持ちだったし、ヘルメットの中で涙が出たし、叫んでいたし、とてもハッピーだった。
 僕にとってフォーミュラ・ニッポンのタイトルを獲ることは、とても重要だった。何年も僕のクルマのために働いてくれたNAKAJIMA RACINGのスタッフのため、そして僕の家族のためにね。
 この7〜8年、フォーミュラ・ニッポンではずっとTEAM IMPULがタイトルを獲ってきたけど、今年はNAKAJIMA RACINGが最強で、僕らはそれにふさわしい仕事をしてきたと思っているから。何て言えばいいのかな、あの時は空を飛んでいるような気分だったよ。とにかく最高だった。

Q:無線で叫びましたか?

LD:うん、もちろん。『サンキュー!』と言ったし、何か日本語でも言ったと思う。『ありがとう!』とか。よく憶えていないけど。

運も良かったし、今年は僕の年だったと思うんだ

Q:チャンピオンを決定した後の第8戦SUGOは、途中から雨が降り出す悪コンディションでしたが、このレースに向けてのモチベーションはどんな感じでしたか?

LD:僕のモチベーションはSUGOでも高かったよ。僕は常に自分にできる最上の結果でレースを終えたいと思っているからね。チームにとってもハッピーエンドになるように。それに、あの時、チームは小暮選手がシリーズランキング2位になれるように望んでいたし、僕もできることがあれば協力しようと思っていたんだ。
 ただ、実際には、とてもおもしろいレースになったよね。あれは勝つのに運を必要とする典型的なレースだった。もちろん僕のクルマは、勝てるだけの戦闘力を充分に備えていたよ。だけど、それと同時に運も必要だったし、多分僕には運があったんだと思う。結果的に、僕がピットに入った周がベストのタイミングだったから。たまに、そういうことがあるんだ。
 今年の僕は、今までよりも強かったし、クルマにも戦闘力があったし、もてぎでのリタイヤやオートポリスの予選でのミスを除けば、それほど多くのミスをしなかった。安定して前を走ることができていた。だから、いずれにしても今年は僕の年だったと思うんだよ。だけど、それだけではなくて、僕には運もあった。だからこそ、今年は完全なパッケージだったと思うんだ。SUGOのレースでも、僕がスタートでトップに立っていたら、話は違っていた。前にいる方にピットインの優先権があるから、僕がトップだったら小暮選手が最初に入ったのと同じ周にピットに入っていたと思う。
 でも、小暮選手のピットインの後、チームから「いつでも入っていいぞ」って言われた時、僕はもう少し待とうと思っていて、コースアウトしたのを機にピットに入った。だけど、あそこでコースアウトしなかったら、アンドレ(No36 ロッテラー/PETRONAS TOM'S)やブノワと同じように、まだスリックで走り続けていたかも知れないんだからね。

新チャンピオン、デュバル選手には、引き続き今シーズンのフォーミュラ・ニッポン全般について、お聞きした。
そのインタビューの模様はこちらで。

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