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SUPER FORMULA TECHNOLOGY LABORATORYTEXT: 両角岳彦

「レースというスポーツ」のエッセンスを満喫した日
2015 Round5 Autopolis

両角岳彦

指先の感触と微小な動かし方が勝負を分ける

 「スタートが勝負」。当然である。当然だけれども、オートポリスのスターティンググリッド、その前方に位置を占めて54周先には先頭でフィニッシュラインを切るイメージを描いていたドライバーたちの意識は、この一点に集中していた。とりわけ、前2列・4人のドライバーたちは。

 フォーメーションラップを走ってきたドライバーはスターティンググリッドに静止したところでステアリングホイールをグリップした手の指を伸ばして「クラッチパドル」を引く。これでクラッチが「切れた」状態になる。この状態のまま伸ばせる片手の指(主に人差し指)を使って、やはりステアリングホイールの裏側、一段上にあるギアシフト用のパドルを引き、1速をエンゲージする。この状態からシフトパドルの下にあるクラッチパドルを戻してゆくと、電気信号がクラッチ断続のアクチュエーター(作動機構)に送られ、クラッチレリースが動いてクラッチディスク(多板式)が接触、エンジンの回転力がトランスミッション、そしてリアタイヤへと伝わって「蹴る」状態になる。
 SF14で導入されたこの「クラッチ・バイ・ワイア」システムについては、昨シーズン開幕直後から色々と話題になってきた。クラッチの断続をコントロールする「パドル」は、モーターサイクルのクラッチレバーのように1本でもいいのだが、2本にしてステアリングホイール裏の両側左右に配置する形を選ぶドライバーが増えている。この場合、静止状態では両方のパドルを引いて待ち、スタートの瞬間にまず片側を離す。これでカーボン複合材のクラッチディスクが「当たる」ところまでクラッチレリースが動き、いわゆる半クラッチの状態になる。このディスク接触開始を「バイト(噛む)・ポイント」とも言う。同時にもう一方の手のパドルを、こちらは徐々に話してゆくことでクラッチミート(つながり)を作ってゆく。
 ひとつのパドルでバイト〜ミートまでを操作することもできるのだが、このバドルはそもそも電気信号を作るスイッチであり、ドライバーの手に伝わるのはバネの反力だけで、ワイヤや油圧系で“つながった”クラッチ作動機構の感触が伝わるモーターサイクルのクラッチレバーとはまったく別もの。だから機械的な「バイト・ポイント」までを一気に動かし、クラッチの摩擦円盤同士が接触したところからのリリース操作、すなわち摩擦の立ち上がり=エンジンの力が路面を『蹴り始める』瞬間を別の指でコントロールするという2パドル方式のほうが、デリケートな動きが造りやすいようだ。
 この部分のメカニズムについてさらに細かい話題に踏み込むなら、もともとSF14開発時から組み込まれていたトランスミッション&クラッチ作動・制御システムはザイテック社のもので作動の基本機構は電磁石(ソレノイド)。ホンダ・エンジンとの組み合わせでは現在もこれが使われている。一方トヨタ・エンジンと組み合わされるのは、2013年の開発テスト時からシフテック社のコンポーネンツとなっている。こちらは基本作動に圧縮空気を使う。

 かくてドライバーはスタートの瞬間、クラッチパドルを戻す指先の感覚に集中する。まずフォーメーションラップへの発進、そして1周の中でクラッチをどう使うかも「ルーティン」を組み立てて走るようになった。カーボン複合材のクラッチディスクは温度によってつながり方(摩擦係数)が変化するので、それを毎回同じような条件に保ち、発進の瞬間のバドル操作と「食いつき」の関係が再現できるようにするためだ。そしてパドルを戻す中で腰の後からリアタイヤが「蹴り出す」感覚が伝わってくるのに合わせて、それまでエンジン回転を最大トルク発生点付近に保っていたアクセルペダルを踏み込み、ダッシュに移るのである。

SF14のステアリングホイール

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SF14のステアリングホイール(本体はCFRP成形で作られている)の裏側には左右一対ずつ上下2組の「パドル」が組み込まれている。上がトランスミッションの変速、下がスタートする時だけ使うクラッチ断続操作のためのもの。変速機のギアセットはモーターサイクルと同様のドグクラッチ結合機構であり、走行中の変速はパドル操作とともに変速機構を動かし、エンジン回転を合わせる制御を行うので、クラッチの断続はほとんど行わない。(写真は伊沢拓也車)

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タイヤが路面を『蹴り出す』瞬間の勝負

 オートポリスのメインストレート右側最前列、ポールポジションに付いた石浦宏明は、レッドランプ消灯・スタートの瞬間、まさにこれ以上はないタイミングでクラッチがつながった。「『よしッ!』と思った瞬間、足が動きすぎちゃって…」。湧き立つアドレナリンが右足の踏み込みを強めた。エンジンのトルクが一気に上昇し、タイヤが空転を始める。もちろんスタートダッシュの「蹴り始め」のところでは適度なホイールスピンによってエンジン回転を落とさず、タイヤのトレッド表面の温度を上げてグリップを生み出すことが必要なのだが、この瞬間の石浦のリアタイヤの滑りは多すぎた。
 背後の3番手グリッドから、昨年開幕以来ずっとクラッチミートの感触をつかんでいることを体現している中嶋一貴が、いつも以上の「ジャストミート」で石浦の右側に並びかける。右側斜め後ろ、2番手グリッドからスタートした小林可夢偉も、前日の予選記者会見で「明日はスタートに集中します」と語った言葉どおりにピタリと動き出しのタイミングを合わせ、そこからの伸びも良く、石浦を左側からかわす加速を見せる。
 1コーナーに向けてインを取った中嶋。石浦は両側から2車に先行された瞬間に状況を見切ってコーナーへのアプローチのためにアウトにマシンを持ち出す。アウト側からターンインする小林が中嶋ののマシンを視界に捕えたのは、このタイミングだったはずだ。ノーズの長さ分だけ中嶋が先行、いわゆる「ホールショット」を奪う。「スタートでトップに立ったらなかなか抜かれないはず…」という小林のレースプランはここで修正を余儀なくされた。
 かくして1コーナーを抜けるマシンの列は、中嶋、小林、石浦。そしてロッテラーが石浦のインにノーズを差し込む動きを見せるが果たさず4番手に引く。そのロッテラー、スタートシグナル消灯のわずか前に動き出していて「反則スタート」の判定。5周終了時にドライビングスルー・ペナルティを消化して最後尾に下がる。このロッテラーのポジションがレース後半の流れに大きな意味を持つのだが、それはもう少し後の話。いっぽうスターティンググリッドの中団からはJ.P.デ・オリベイラがジャストミートのダッシュを決め、1コーナーに向かう中で右側タイヤをダートに落としながら一気に5番手まで順位を上げた。

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スターティンググリッド上位4車の前後ウィング・セットアップ観察。前はフラップ後縁側を止めている翼端板の孔位置(固定ボルトが入っている所)が上に行くほど翼面の反り(キャンバー)が強くなる。後はウィング前縁部を止めている翼端板の孔+ボルト位置が下に行くほど翼の迎角が大きくなり、ともにダウンフォースが増える方向。さらにウィング類の後縁に追加されている「ガーニーフラップ(L字断面材)」や「エクステンション(延長面)」の高さもダウンフォースへの影響が大きい。例えばリアウィング固定孔位置を比較すると、38石浦が下から3つ目、8小林が下から2つ目、1中嶋一貴が下から4つ目、2ロッテラーが下から3つ目と細かく異なっている。ウィングのフラップ後縁はもちろん、下段のビームウィング後縁にもガーニーフラップが追加され、その高さがダウンフォース発生量をかなり変化させるので、メインプレーンの固定孔位置だけでダウンフォースの大小を判断することはできないが。

オートポリスという「舞台」でのピットストップ

 昨年はレース距離をレギュラーの250kmから、燃料補給なしで走りきれる215kmに短縮して行われたここオートポリスのレース。今年は250kmに戻し、19台のSF14はこれまでモノコック左側面に開口していた燃料補給口を右側に移設して、九州に移送された。
 モノコックそのものは左右対称形であって、燃料タンクから斜め上の位置に補給口を組み込む大径の穴も設けられている。しかしSF14のパワーユニットは直列4気筒で、左側に吸気、右側に排気と、左右非対称のレイアウト。つまりマシンの右側にはエキゾーストパイプ(排気管)、その排気流を受けてタービン+コンプレッサーを回し「過給」を受け持つターボチャージャーと『熱源』が集中している。逆に左側は、燃料タンクから送り出されるガソリンの全量が通過し、そこで流量を制限する、NREのパフォーマンス・コントロールの鍵、燃料リストリクターがあり、そこからエンジンへ、4つのシリンダーへと高圧(100気圧)の燃料配管が伸びる。これに合わせて特殊ゴムの外皮で防爆・防裂機能を持つ燃料タンク、いわゆる「ガスバッグ」の内部では、内蔵されたポンプでいったんガソリンを吸い上げて溜め、そこから安定した燃料供給を行うためのコレクタータンクが、これまでは左側に組み付けられていた。補給口を右から左に移設するためには、この縦長の円筒状タンクは逆に右側に移し、そこから燃料リストリクターへの配管もモノコック背面を右から左へ這わす必要がある。そこは高熱源も近いので、燃料の温度が上がりすぎないよう、加えてクラッシュ時に配管や継手が破損して燃料が洩れたりすることがないように配慮した配管を設計・製作し、さらにエンジンメーカー所有のテスト車両で不具合が出ないことを確認し、ようやく左側からの燃料補給に対応したマシンが組み上げられたのである。土曜日午前、最初のフリー走行で、1周しただけでいったんピットに戻る、いわゆる「インスタレーション・ラップ」を行ったマシンが多かったのは、この新規に組み付けた燃料系統に洩れなどの不具合が出ていないかを確認するためだった。
 その燃料補給、事前の机上検討では、フルタンクでスタートしたとして、レースを走り切るために不足するガソリンの量は「およそ8周分」。つまり1回のピット作業でレースを走り切るには、スタートから8周完了で「ピットウィンドウ」が開く。現実の戦いの中で最初に(もちろん、ロッテラー以外で)ピットロードに滑り込んできたのは中山雄一で6周完了時点。続いて7周で小暮卓史が、8周してW.ブラーがピットイン。ここまでは皆、給油リグを差し込んでいる時間が6秒程度の燃料補給のみ、タイヤ交換はせず、という戦略を採った。続いて9周完了でN.カーティケヤンがピットストップして同様の燃料補給とリアタイヤ2本のみ交換、コースに戻ったところで小暮の前をキープできた。いずれにしてもこれだけ早いタイミングでピットストップを行い、しかもタイヤを交換せずに燃料は満タンにして走り続けるということは、タイヤに優しく、同時に燃費も稼ぐドライビングが求められることになる。しかしスタートして落ち着いたポジションが後位になったドライバーたちにとっては、その順位をゲインする可能性を求めての選択だったはずだ。

 こうしたストラテジーが現れた背景には、SF14が初めてここオートポリスの戦いに臨んだ昨年のレースで、タイヤ無交換で200km以上を極端なグリップダウンなしに走れるという経験値が残ったことがある。それを踏まえてピット戦略のバリエーションが広がったことが、序盤のピットストップを選んだこれら数台の動きからも見えてきたのではあった。さらにお互いのピットストップのタイミング、そのインラップ、アウトラップの速さ、前方に「スペースがある」状態を作って、そこでペースを上げられるかなどが、順位変動に直結する。そういう速さと知恵の戦いが観る側にも伝わり、テンションが高まるレース展開になってきた。
 さて、優勝を争う上位陣のピットストップ・ストラテジーは…?

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緻密な仮定と計算に基づく「賭け」の行方

 スタートからレースをリードする中嶋一貴、それを追う小林可夢偉の二人は、スタート直後から1分30秒台に入る他より一段と速いペースでの周回を重ねた。その後方に付けて遅れないだけのラップペースを維持しながら二人の出方を見守る石浦。この3人が他を少しずつ引き離してゆく。
 そうなると問題は、各々の燃料搭載量。フルタンクに近い状態でスタートしながらも、他よりもいちだんと速いペースで走れているのか、それとも燃料搭載量が“軽い”がゆえの速さだろうか。それを確かめるには各車のピットストップを待つしかない。様々な思いや推測が交錯しながら、外から見守る者にとっては一瞬の膠着状態に思える周回が54周で戦うレースの半ばまで続いた。
 そして、上位3者の中で最初にピットに飛び込んできたのは小林だった。29周完了時点で2番手から最終コーナー左手のピットエントリーへとノーズを向けた。60km/hの速度制限ももどかしくチームルマンのピットボックス前に滑り込んできたマシンに飛びつくメカニック4人の動きは、タイヤ4本交換を含めたいわゆる「フルサービス」のパターン。「燃料補給タンクの最大高さ2m」「(その底部から伸びる)燃料補給ホースの内径38mm」と規定された燃料補給装置のジョイントがモノコック左側面の受油口に差し込まれる。その間に3人のメカニックによるタイヤ交換は進み、ほぼロスなく進んだ時の平均的なタイム、13秒あまりで担当メカニックたちの手が水平に伸びて作業完了を告げた。しかし燃料補給担当のメカニックはまだ「リグ」を押し込んだまま。その身体が後方に動いたのはストップウォッチの数字が18秒を過ぎた時だった。

 この「燃料補給リグ」接続時間から重力給油で送り込んだガソリンの量を推算すると、およそ42リッター。満タンでスタートしていれば、最後まで走り切るのに「注ぎ足す」必要量はおよそ15リッター、リグ接続時間6.5秒で済むはずであって、それよりも27リッター、約20kg軽い状態でスタートしていたと推測できる。この燃料搭載量、推定65リッターでまずピットからスターティンググリッドまでの1周、そしてフォーメーションラップを走った上でレースを何周走れるかを推算すると、31〜32周か。追走のために燃料をリストリクターが許容する最大限まで使って走り続けていたとすれば、多少のマージンを残して、この29周完了時点がぎりぎりだったということになる。
 小林陣営が描いた2番手からのレースプランは、「マシンを軽めにしてスタートでトップに立ち、そのまま速いラップタイムを続けてリードを広げる」だったのである。他の上位陣は“コンサバティブ”な戦略で来る可能性が高いと読んで、あくまでも「勝つ」ことに焦点を当てたゲームプランだ。
 燃料搭載量、つまり重量が軽いことによるラップタイムの向上、いわゆる「フューエル・エフェクト」がどのくらいあって、それが何周でどれだけのリードを生むか。そこでピットストップして燃料を補給する時間が、そこまでに築いたリードを「食いつくさない」ようにする。燃料補給に時間がかかるのであれば、その間にタイヤも予選を走っただけのフレッシュなものに4本とも交換。コースに戻ってタイヤが暖まるまでのロスタイムを計算に加えて、その状況でトップを維持できるように組み立てる。その先ではライバルと同じ燃料搭載量になるけれどもタイヤの状態が良い分だけ、前に出さえすれば勝てる。と、これだけの条件を組み合わせてレース展開をシミュレーションした結果、ピンポイントで「最速」となる条件、すなわちスタート時点の燃料搭載量が導き出されたのだという。
 そのゲームプランで「勝ちに行く」。そう決めたのは小林自身であり、「これで行きます」と決勝前夜にチーム首脳を説得し、スタートに賭けたのだった。中嶋に、さらにその上を行くスタートダッシュを決められて2番手からのレースとはなったけれど、20kgちかく軽いマシンのアドバンテージを活かして早い時点でオーバーテイクできていれば、まだ勝利への可能性はあった。しかし小林のラップタイムは意外に上がらず、中嶋と拮抗したペースにとどまってしまった。じつはスタートで前に出られたこと以上に、こちらのほうが誤算だったかもしれない。
 さらに言えば、ピットストップの後には、序盤のピットスルー・ペナルティでポジションを落としたロッテラーが、燃料補給のためのピットストップを終盤まで引き延ばしつつ、レースをリードする3車よりも0.5秒かそれ以上遅いペースで走っているのに“引っかかって”しまった。ピットアウトから3周はフレッシュなタイヤを履いたアドバンテージで速いラップを続けたものの、そこでロッテラーに追いつき、彼のピットインまで8周にわたってそのペースに“付き合う”ことになったのである。このロスタイムが少なく見積もっても5秒以上か。それがなければ…という「もしも」が残るレースとなった。

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ピットに「飛び込む」のは「いつ?」「タイヤは?」

 かくして戦いも後半を迎えた30周目から、優勝争いは中嶋と、追走する石浦のマッチレースに転じた。しかし石浦はスタート直後から前を行く2車ではなく、中嶋にターゲットを絞って走っていたという。石浦車を担当する村田エンジニアが「可夢偉は“軽い”」と読んでいたからだ。スターティンググリッドで小林車担当の山田エンジニアと交わした雑談の中に、そのヒントがあったようだ。じつはスターティンググリッドの上で、各車のトラックエンジニア同士が談笑したり、お互いのクルマを観察し合っている情景をよく見かける。もちろん会話は「虚々実々」であるはずだが、彼らもまた競技者手あり、長年の付き合いの中てお互いの性格も分かっている者同士、伝わるものがある。スターティンググリッドの上に限らず、そうした情景を見かけることは多い。
 中嶋vs石浦の、お互いに集中力を途切らすことのない「がっぷり四つ」の走りは、小林がその間にいなくなってから16周にわたって続いた。石浦は、中嶋との間に入っていた小林がいなくなったところでペースを上げ、トップとの差、3秒前後まで詰め寄る。そして45周目、前を行く中嶋が最終コーナーの中で左に寄る。間髪を入れず、石浦もピットロードに向かった。この状況でピットストップのタイミングを合わせるのは、戦いのセオリーである。前を押さえられていたのならば、前走車がいなくなったところでペースを上げて、1秒でも2秒でも切り詰めてピットに飛び込み、前に出るチャンスを増やす方策もありうる。しかしこの時は両者のペースはほぼ同じ。相手の出方に合わせて、ピットアウトの後に残る9周に勝負を懸けて、うまく進めば優勝、最低でも2位をキープ、というのがシーズンも後半に入ったこの段階でのポイントリーダーのゲームプランである。
 レース終了後の恒例となった優勝車担当エンジニアを招いての「TECHNOLOGY LABOLATORY」トークショーで、中嶋一貴とコンビを組む小枝エンジニアがまさに本音で語ってくれたところによると、彼自身は「ピットストップの時期を1周間違えていました」とのこと。つまり、もう1周後だと考えていたところ、ロッテラー担当で、トムスチーム全体にも眼を配っている東條エンジニアが、この周回数で入るレースプランだったことを指摘して、ことなきをえたのだという。小枝エンジニアと中嶋の間では「タイヤは大丈夫?」という無線交信が飛び交い、ピットストップでの作業内容をどうするかで、小枝エンジニアの頭脳はフル回転していたのである。
 先ほども触れたように、フルタンクでスタートした場合の燃料補給リグ接続時間は7秒以内。ここまで来たらタイヤ4本交換で13〜14秒を費やす選択肢は中嶋、石浦ともにない。2本か、無交換か。

 中嶋+小枝の選択は「無交換」。いっぽう石浦は村田エンジニアに「タイヤはどうする?」と聞かれて「1周ぐらい考えました」。彼の決断は「フロント2輪」。ここオートポリスでは上り勾配の中で右に左にコーナーが続くセクター3で、フロントタイヤがしっかりとグリップして回頭性が良いことがセットアップの鍵だと、「エンジニアたちの作戦計画」でも皆が異口同音に答えてくれている。下り勾配でも、タイヤの磨耗が進むとブレーキングからターンインのところで踏ん張りが効かず、フロントがコーナーの外に逃げる挙動が出やすくなる。石浦としてはそこを何とかしたいと考えたわけだ。
 ぎりぎりのせめぎ合いの中、両チームのメカニックたちの動きにもミスはなく、中嶋と石浦は踵を接したままコースに戻った。石浦は交換したフロントタイヤが暖まるまで、さすがにペースが上げられない。わずかに差が開いてゆく。そのフロントタイヤが本来のグリップを発揮するようになったところからは、「フロントからものすごく巻き込む動きになってしまって…」。タイヤ無交換の中嶋は丁寧なドライビングでトップを守る。最終盤に至ってラップペースとしては石浦のほうが0.5秒ほど速く、1秒差以内にまで迫った52周目からはメインストレートでオーバーテイクシステム(OTS)を毎周作動させて追う。しかし中嶋もここまで温存してきたOTSを同じタイミングで“ディフェンス”起動して彼我の差を保つ。

 54周のフィニッシュラインを越えた瞬間の両者の差は0.992秒。
 こうしたトップグループの攻防、その背後で演じられた頭脳戦の濃密さは「名勝負」と呼ぶのにふさわしいものだったが、ここで触れることができなかったドライバーたちの間でも、ドライビングと頭脳と、両面の「バトル」がレースの様々な局面で途切れることなく演じられていた。サーキットという舞台で演じられるレースという『スポーツ』のおもしろさがぎっしりと詰まっていて、見終わった時にずっしりとした充足感がある『良いレース』。その実感をかみしめながら夕闇迫るパドックを歩いた。最後にその中で聞いたエピソードをひとつ紹介して、今回のこのコラムを終わろうと思う。
 ピットストップの状況を振り返る石浦と村田エンジニアの会話。「アウトラップで『一貴、速いなぁ』と。タイヤ換えてなかったの知らなかったから」(石浦)。「目の前でピットストップしてたんだから、見ていただろ」(村田)。「目の前にはロリポップで『STOP』って出されてるんだから、(前方、トムスのピットの状況なんて)見えませんよ」(石浦)。

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決勝レース ラップタイム比較

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スタートダッシュで中嶋一貴が一気に逃げ、小林可夢偉は数周かけてペースを上げてそれを追い、しかし追い抜きを試みるだけの速さの差には至らず、石浦がそれを見守るように追う、という中盤までの流れはこのラップタイム推移に明確に現れている。中盤は中嶋、石浦ともに後半に向けてタイヤ消耗を意識して無理なく維持できるラップタイムを刻む。一方、小林はピットストップで予選を走っただけのタイヤに履き替えたところから序盤なみのラップタイムに上げるが、そこでロッテラーとの間隔が詰まってペースを押さえられてしまう。自由に走れる状態が10周程度続いていれば、ピットアウトしてきた中嶋、石浦に迫り、タイヤの状態が良いことで勝負を挑めたか…という「もしも」が浮かび上がる。スタートで順位を上げたオリベイラは、4輪交換フルサービスのピットストップ直後、「一撃」の速さを見せ、2輪交換でコースに戻ってきた平川が小林とともにロッテラーに押さえられていたところに追いつく。ロッテラーがピットインしてからは小林、平川、オリベイラが攻防を続けながら速いペースで走っている。

決勝レース ラップチャート

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オートポリス54周の順位変動を追う。まずグリッドポジション(0周)からスタートでポジションを争うドラマが演じられたことがわかる。ロッテラーの順位降下は本文にもあるようにスタートでのフライングに対するピットスルー・ペナルティによるものだが、予選でタイムを出せなかったドライバーの何人かがチャンスを求めて早めのピットストップを敢行している。上位グループのピットストップはレースも半ばを過ぎてから次々に行われ、それぞれにトラック・ポジションをにらみつつタイヤの状態によって作業内容を選んだ結果が順位変動となった。終盤にも相前後する2車の間で順位が入れ替わっているポイントがいくつかあり、最後まで各ポジションでコース上での競り合いが演じられていたことが読み取れる。

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