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新タブロイド紙「STAGE」特別インタビュー 国本雄資 編
2017年6月9日
Q.お父さんがレーシングカーターで、国本選手も元々はスキーをやっていたと思うのですが、そこからどのようなきっかけでカートの道を選んだのですか?
国本雄資(以下、国本):もともとカートを先にやっていました。カートをやりながらスキーをやっていた状況です。アルペンスキーというのはタイムを競うレースなんですけど、誰かと一緒に走って抜いたり抜かれたりするのが、子供ながら楽しかったのでカートに絞って、スキーを辞めました。どちらかに絞らないといけない状況だったので。
Q.カートは自分から乗りたいと思って乗り始めたのですか?
国本:小さかったので覚えてないですけど、乗りたいと言ったんだと思います。6歳くらいでした。多分兄と一緒に行ったんだと思います。
Q.2歳年上のお兄さんをカート時代、FCJ時代、F3時代と追いかけて行くことになりますが、マカオGPでも優勝し注目されていたお兄さんを間近で見て、どのような心境でしたか?
国本:ボク自身も当時の成績はそれほど悪くなかったので、いつかは・・・と思ってましたが、あまり気にしてなかったですね。当時FCJでたくさん勝っていましたし、F3に上がっても、兄弟だから兄ができるんなら自分でもできるんじゃないかなと思っていました。
Q.カート時代からお兄さんに対してライバル意識はありましたか?
国本:ありました。けどいつも速かったし・・何やってもかなわなかったですね。(今思えば子供の頃の)2歳の差って大きいなと思います。考え方も違うし、大人の2歳差より、全然大きいと。マカオで勝った時などは、やっぱり兄は凄いな、と思ってました。
Q.その活躍を見て悔しいとは思わなかったのですか?
国本:悔しいとは思わないですね、だって兄弟だし、嬉しいな、ほんと凄いなと、ホントに速いんだな、と思いました。兄弟でレースをやっている時はいつも追いかけて頑張ってました。
Q.目標だったお兄さんが突然レースを辞めてしまいましたが、その時はどんな気持ちでしたか?
国本:ちょうどその時、僕自身もスーパーフォーミュラに参戦する時だったので、世界のトップレベルのドライバーがたくさんいたし、日本人でも何回もチャンピオンとったドライバーもいたので『日本のトップのレースで戦うんだ』という新たな目標があったので、兄が辞めて気持ちが萎えるとかどうこうはまったくなかったですね。ただ辞めると言われた時はびっくりしましたけどね。
Q.トップカテゴリーに上がって、それまでと何か変わりはありましたか?
国本:なんでなんでしょうね・・・。やっぱりF3とかFCJでは周りの環境も良かったせいで(クルマ自体も速かった)争わずにレースをしてきた感じなんです。嫌なことがあっても、自分の中に留めて、自分で解決しようとしていた部分があって・・、クルマのセッティング面でもそうで、『そこまでは』求めないで自分の走りでなんとかなるんじゃないかなとか、思ってました。やはり「トップカテゴリーになると、周りの仲間を味方につけないとダメだ」といろんな人に言われてはいましたけど、それでも自分でなんとかなると思ってたんだと思います。石浦選手(石浦宏明)がチャンピオンを獲った2015年シーズンは精神的にボロボロになりましたね。やったことが上手くいかないし、結果も出ないし、チームメイトはチャンピオン獲るし、スーパーGTでも簡単なミスをして飛び出したりクラッシュしたりとかで・・。正直サーキットに行きたくなかった。石浦さんがチャンピオン獲ったときも喜んでいる輪の中に入れなかった、それくらい悔しかった。でもそのオフに色んな人が助けてくれたり応援してくれたり、相談したら的確にアドバイスくれたりとか、やっぱり自分の力だけではなく人の力を借りるということが精神的にもすごく楽になれたし、「相談しても良いんだ」って思えるようになったことが、大きく変われたところだったと思います。それから2016年を戦うにあたっていろんな人に、クルマの事についてもすごく意見を言うようになったし、それに対して皆の力を借りるようになったし、例えば何度もトヨタのエンジン部屋に行って(それまでは一度も行ったことがなかった)、不安な部分を相談して、「僕はこうしたい」とか言ったり、そういうところがすごく変わったんです。モノコックを代えてもらったのもそういったところからなんです。(それができなかったのは)子供だったんですかね(笑)。でもそれに対して周りの人たちがみんな動いてくれて、助けてくれました。だから結果が出たんだと思います。
Q.2015年以前の結果が出ないときに不安はありましたか?
国本:ずっとTDPでやっていましたし、周りが面倒を見てくれていた感じだったんです。F3の時のトムスのクルマとか、何もしなくても速かった。自分はただ乗っているだけ。でもトップカテゴリーに来たら、ドライバーもクルマもみんな物凄くレベルが高いので、皆よりプラスアルファの物が必要だと、15年に気づいたんです。結果が出ない間は、クビになるとかそういう怖さよりも、負けることの悔しさの方が大きかった。負け続けたらいつかは終わるし、勝ち続ければずっと乗れる。だから速く走れないことが凄く嫌だったし恐怖だった。ここまで結果が出ないと自分のことも疑ってしまいます。なんでだめなんだろうとか、運転の仕方がだめなのかなとか、凄く色んなこと考えたし、それが全然ポジティブな方ではなく、ネガティブな方に考えてしまっていたので良くなかったんでしょうね。全然寝られなかったし。
Q.何か気持ちや考え方を変えるきっかけがあったのでしょうか?
国本:菅生サーキットでスーパーGTのテストをやっている時に、寿一さん(脇阪寿一)に相談したんです。皆が走っている時に。落ちていた気持ちが上がるきっかけになりましたね。それから寿一さんとトレーニングとかも始めて、いろいろ話して精神的にも強くなっていったと思いますし、GTでプロジェクトチームバンドウ(坂東正敬監督)に行けたことも、最初からチームがウエルカムで受け入れてくれて、たくさん走れたし、チームメイトの雄飛(関口雄飛)も『絶対速いんだから大丈夫』っていつも言ってくれたし。自分にとって凄くプラスになったことでした。
Q.そして臨んだ2016年シーズン。どの様な気持ちで臨まれたのでしょう?
国本:開幕戦からものすごく力が入っていました。今までにないくらいの気合の入り方でしたね。そこで結果が出た(2位表彰台)。復活できたと思いました。でもいっつも2位なんですよね(笑)1位はいつも山本君(山本尚貴)でもいつもこのレベルでレースをやっていればいつかは勝てると。そのレベルを維持することが重要だと感じてました。
Q.2016年は常に上位で戦っていたからこそ、第5戦岡山で初優勝した時の作戦は、自分の意見を通せたのですね?
国本:そうだと思います。それと1レース目でバンドーン(ストフェル・バンドーン)に先に行かれたことが凄く悔しかった。だから2レース目は絶対優勝しかないと思っていました。だからあの作戦(1周目でピットイン)しかないと。
Q.初優勝した時は、どのような感じでしたか?
国本:嬉しかったですけど、何かが変わったという感じは無かったですね。
Q.最終戦で優勝したレース1では、国本選手史上最高のスタートでしたよね?
国本:ウイリーするかと思いました(笑)。最終戦は予選で二つとも石浦さんに前に行かれました。その段階では“終わったな”と。でも土曜の夜から日曜の朝にかけて、気持ちをリセットできたし、抜くならスタートしか無いと思ったので、そこに集中しました。スタートのことだけをトヨタの人たちにも相談しましたし、チームのエンジニアやメカニックにも相談しました。ホテルに帰るのが遅くなりましたね。
Q.2017年シーズンに向けて、どの様な思いで臨んでいますか?
国本:みんな速いので、誰かを意識したりとかはないです。ディフェンディングチャンピオンだからと言った意識も全然無いです。常に前進していかないと埋もれて行っちゃうので、セッティングにしてもドライビングにしても、今よりも良くなるようにということをいつも考えています。