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新タブロイド紙「STAGE」特別インタビュー 小暮卓史編
2017年10月26日
Q:最も長くシリーズに参戦していますね。
そうですね、2003年から出場しているんですが、ずっと時が止まっている感じです。年齢も変わり環境も変わったんですけど、フォーミュラの場合はレース形態が変わらない。車両やレギュレーションはもちろん変わっているんですけど、このレースは出場するたびにすべてがリセットされて、2003年の頃と全く同じ気持ちになる。
Q:それはどういう気持ちなんでしょう。
ドキドキする緊張感・・・。フォーミュラは速いドライバーが勝つ。マシンやセッテイングもありますけど、GTなどに比べると色んな要素が削られていてとてもシンプル。だから緊張するんです。
Q:F3に乗っていた頃、トップフォーミュラをどのように見ていたんでしょう。
F3自体が雲の上の存在でした。そこまでのジュニアフォーミュラとは比べ物にならない世界。F3に乗れるとプロだなと。だからその上のトップフォーミュラは見えていませんでした。高木虎之介さんが8連勝したシーズン(2000年)を見ていたんですが、ホスピタリティから何から、雲の上の存在でしたね。
Q:初年度(2003年)はナカジマレーシングから参戦を果たしました。
前年ラルフ・ファーマンがチャンピオンを獲って、僕がそのクルマを引き継いだんです。だからいきなりゼッケン1番。当時はナカジマレーシングとチームインパルが2強でした。そこにいきなり乗れるのは光栄な事でしたし、シーズン前にレイナード車両で美祢サーキットを走らせてもらった時、凄く緊張してモノコックを壊してしまったんです。それでも乗せていただけたので中嶋監督には感謝ですよね。
Q:デビュー当時は本山選手をはじめとした錚々たるメンバーがいましたね。
今と違ったムードがありましたね。凄くピリピリした雰囲気がありました。本山さんだけではなく、(脇阪)寿一さん、道上(龍)さん、(土屋)武士さんや服部尚貴さんとかがいて、日本人ドライバーの層も厚かった。若手、中堅、ベテランと揃っていました。本山さんはその中でもオーラを持ってましたよね。みんな尖っていた時代だったので、異様な空気がありました。初年度で、僕は結構暴れてミスしたりしてたので、いろんな方たちから怒られました。ホントに怖い先輩がいっぱいいるなと(笑)。
Q:先輩たちが小暮選手のことを恐れていた感じもありましたね。
そうだったとしたら嬉しいのですが、僕自身は「(先輩たちが)なんでこんなタイムが出せるんだろう」といつも思っていました。
Q:当時一番の目標は本山選手を倒すこと?
当時のナカジマレーシングでは、アンドレ・ロッテラーとコンビだったんですけど、レイナード車両を使っていた頃ほど速くなかった。アンドレとは、本山さんのタイムを見て「あのタイムがなんで出せるんだ」って話してました。レースも強かったけど、予選など飛び抜けて速い時が何度かあった。だから勝ちたいな、と思ってましたね。
Q:2年目(2004年)に初優勝を飾るわけですが。
デビューの年の開幕戦で3位表彰台だったんです。それからはいいレースが出来ませんでしたが、最終戦も表彰台に上がれました。その流れで翌年の開幕戦で優勝できたんだと思います。ただレース中、上位勢がいなくなったこともあり、自分で勝ったと言うより、運が良かったんだと思います。
Q:自分で勝ち取ったと思えるレースはいつですか。
正直、そういう感じのレースはないんです。本山さんにしても(松田)次生さんにしても、倒す前に辞めていっちゃったじゃないですか。僕からしたら「エッ?」って感じなんです。
Q:同年代のライバルと言うと次生選手ですよね。
年齢的には一つしか違わないんですけど、次生さんはチョット先に行ってたんです。F3に関してもトップフォーミュラに関しても僕よりキャリアが早かった。2005年とか06年頃から交わりだすようになってくるんです。その頃から意識するようになりましたね。僕が勝つ時もあれば、負ける時もある。でもトータルで見ると負けた時の思いの方が強いんです。予選で1/100秒で負けたりもしましたが、凄く悔しいんです。
Q:2007年は最もチャンピオンに近づいたシーズンでしたが、その時はどういう感じだったのでしょう。
あの年は、タイヤ、マシン、チーム、全てのパッケージが僕とマッチしていました。だからシリーズ中盤あたりから「これはいけるな」と思っていたんです。
Q:そして最終戦でトップチェッカーを受けました。
今となっては、当時から残っているのは、僕とアンドレ(・ロッテラー)しかいませんし、雰囲気も変わってしまったんですけど、あの時のことは去年のことのように思い出します。やっぱりチャンピオンと言うのは獲れる時に獲っておかないとだめかなと。逆に言えばあそこでチャンピオンを獲れなかったから今でも続けられているのかなと思いますね。辞めて行ったドライバー達は皆チャンピオンを獲っています。僕は獲っていない。あの時は優勝してチャンピオンに決まって、シャンパンファイトまでやって・・。シーズンエンドパーティーでドライバーの皆が何も言わないで肩を叩くんです。おかしいなと・・。もしかしたら違うかも・・と思ったんです。あの年はちょうど3日後にSA06のF1テストに参加する予定になっていました。最高の状態で挑めたはずなんです。レース終わってシャワーを浴びて、一段落して「オレはチャンピオンだ!」と思ってたんです。レース終わってすぐに違う事がわかっていれば、まだ良かったかもしれませんが・・・。エンドパーティ会場で当時のエンジニアだった田坂さんにすぐ電話したら泣いてたんです。その時に状況がやっと飲み込めました。放心状態というのがピッタリな感じでした。0.03mm車高が足らなかったみたいで。一週間後くらいに「これがレースなんだ」と思いましたね。
Q:これまでで一番衝撃的な出来事だった?
今その時の状態のままだったら、ただ「チャンピオンを逃した」というだけなんですけど、悔しいので、今度こそはという気持ちがずっとある。そのことがパワーになっていますね。
Q:それ以降も長くナカジマレーシングで戦ってきたわけですが、思うような成績が出ませんでした。
あの時チャンピオンは獲れませんでしたけど、ドライビングについては凄くいいイメージがあって、多分それに固執してたんだと思うんです。今と違ってそれほど車両にダウンフォースがあるわけでもなく、パドルシフトでもなく、サスペンションから何から、凄くシンプルな仕様でした。当時はまだマシンが過渡期だったと思うんです。それに当時僕は、F1とかそういう意識は全く無くて、とりあえず速く走っていれば良いことがあるんじゃないか、環境が変わってくるんじゃないか、と思っていました。でもあのタイミングでF1テストやって、左足ブレーキの事もあってF1には乗れない事がわかって、「頑張っていてももう上はないんだ」と突きつけられた瞬間に、凄く悲しくなったんです。意識してはいませんでしたがそれくらいF1に乗れることに賭けてたんだと思うんです。だからチャンピオンを獲れなかったことよりそちらの方が悔しかった。そういう意味ではあそこが一区切りだったのかもしれません。
Q:ある意味上に行くチャンスが無くなって、もういいや、と思ってしまった?
逆ですね。2003年当時、「表彰台ってどんな感じがするんだろう」ってずっと思っていました。今は表彰台から随分遠ざかっているんですが、だからこそ「必ず勝つ」っていうモチベーションがある。「速い、遅い」は自分が一番わかるんです。簡単なことではないんですけど、自分の力を100%出せて、周りもそういう状態だったら、チャンスが有ると思っているんです。自信があるんです。だから続けています。
Q:後輩には負けないと?
年を重ねればそれだけチャレンジングになります。負けないとも思いますし、チャレンジし続けられることに意味があると思います。自分の限界に挑戦し続けられる環境というのは、ある意味貴重でありがたいことだなと思います。シートが無くなるまでは、ベストを尽くしていかないといけない。
Q:今も明確な目標がありますか?
本山さんとか、ブノワ(・トレルイエ)が強かった時は、圧倒的に強かった。昨年菅生大会で関口が見せたような「強い者が勝つ」レースを毎戦やってました。だから明確な目標があったんです。でも今は、全員レベルが高く、速い。だから優勝争いも混沌とする。だからこそチャンスが有ると思っています。
Q:今年チームとしては新規参戦となるB-Maxから参戦していますが、チームが成長している実感はありますか?
スーパーフォーミュラ自体のレベルが異常に高くなってきていてシャシーもエンジンも4年目になると煮詰まってくる。最近思うのは、1年か2年でシャシー変えたらって(笑)。突き詰めているのでタイムが1秒以内に全員入ってくる。日本のチーム力全体がレベルアップされてもいるので、違った意味での緊張感が有ります。そんな中での新規参戦なので、やることがいっぱいある。テストがやれるのであれば、とことんやりたいくらい。いまは走行時間が限られているので、その中で皆に追いつくためには、もっと頑張らなくてはいけないと思ってます。僕には本山さんや次生さん、ブノワが持っていた才能やポテンシャルは無いんです。だからガムシャラにやる。努力をしてその差を埋めていくということだと思っています。
Q:本山選手にしても、次生選手にしても、小暮選手のことは応援していますね。
本山さんや次生さんは戦い方がハード。一方アンドレとかはスマートなので印象にあまり残っていないんです。ハードにやりあったから余計に思い入れが有るのかもしれないですね。人って経験積めば積むほど、いろんなことを背負うので、純粋さが無くなって思いが薄まるし、ガムシャラになれないと思うんです。でも本山さんもそうですし、サッカーで言うと三浦知良さんとかも純粋さを保っている。そこまでやれると本物だと思うんです。だからF3に上がる当時の自分と常に競争しながらやってます。