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新タブロイド紙「STAGE」特別インタビュー アンドレ・ロッテラー編

2018年1月23日

Q.フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラに参戦して、今年(2017年)で15年目ですが、F1テストドライバーの仕事を失った後、2003年に初来日した時はどういう気持ちでしたか?

アンドレ・ロッテラー(以下ロッテラー):まず、ここで15年間もレースをして来られたということが、特筆すべきことだよね。こんなに長く、日本でトップフォーミュラのレースを続けられるなんて、全く想像もしていなかった。だけど、僕はここで舘さんをはじめ、いいスタッフがたくさんいるトムスという素晴らしい家族を見つけたし、常に日本でレースをすることに対して心地良さを感じてきた。だから毎年、ここでレースを続けようって思ってきたんだ。僕はフォーミュラカーをドライブすることを楽しんでいるし、チームが良くていいパフォーマンスを出すこともできている。常に、僕の人生の中、キャリアの中で、ポジティブなものであり続けているんだ。初めて来た時は、どんなことが待っているのか、まだよく分かっていなかった。ただ、僕にとっては、戦闘力の高いクルマでレースをし続けることが重要だったんだ。僕自身は、スポンサーも持っていなかったし、ヨーロッパのメディアからはひょっとしたら“レース難民”みたいな言い方をされていたかも知れない。だけど、自分自身のプロとしてのキャリアを続けて行くために、僕には日本でのチャンスがあったということだ。当時、大きなスポンサーを持っていた他のドライバーたちは、GP2を選択することができたよね。だけど、今何をしているのか全く分からないドライバーはたくさんいるし、僕は「日本に来る」っていう自分の選択が正しかったと確信しているよ。日本で多くのことを学んだし、素晴らしいコースを速いクルマ、高性能なタイヤを使って走ることによって、自分の技術を研ぎ澄ますことができた。母国から遠く離れていることで、自分自身を成長させる自由もあった。だから、アウディに加入して母国に戻った時、直ちに順応することができたんだ。チームに加わってすぐに成功できるだけの要素を、すでに持っていたから。だから、日本のレース界は、僕にとって素晴らしい“学校”だった。

最初に来日した時は、ナカジマレーシングの富士のテスト(オーディション)に参加するためだったけど、面白いことがあったよ。チームとの仲立ちをしてくれたコーディネーターのような人から、「2~3ヵ月分の荷物を持って来た方がいい」って言われたんだ。「もしチームがキミを採用することになったら、すぐにオフのテストが始まるし、日本に留まっていた方がいいから」って。だから、念のため、大きなバッグに荷物を詰めてきたんだけど、結局僕はそこから5~6ヶ月、ずっと日本にいることになったんだよ(笑)。すごい冒険だったね。でも、最初に来た時から、日本は居心地がいいと思っていた。日本に来る2年前には、イギリスに住んでいたけど、あそこはキライだったし、その翌年はF1のテストドライバーとしてスイスに住んでいたけど、それほどたくさんやることがあるわけじゃなかった。だから、日本に来るというチャンスは大歓迎だったし、それを引き寄せたんだ。今でも、初日に御殿場を歩き回った時のことを憶えているよ。日本がどんな所か知りたかったし、御殿場がどんな街かも知りたくて。幾つかのお店の中に入って、どんな商品を売っているのかなって。とにかく好奇心だらけで、新しい冒険に目を見開いていて、1日中歩き回っていたんだ。その中でも、僕が日本で最も気に入ったのは、レースカーのクオリティーの高さ。ナカジマレーシングのファクトリーに初めて行った時、僕はカッコいいエア・インテークが付いているSUPER GTのNSXを見て目が真ん丸になったよ。僕らはヨーロッパで、グランツーリスモを通じて“伝説的な”クルマたちを知っていたんだけど、NSXをこの目で見た時には、「すごい!ここにゲームの世界がある」って思ったし、僕にとってはとても快適な状況だった。レースに対する情熱がものすごく純粋で強力で、高品質のレーシングカーやタイヤを作るために、巨大なエネルギーを注いでいるって分かったし、自分は正しい場所にいるって確認できたからね。「そんな世界にいられる」っていうことにワクワクしたよ。だから、ホームシックになったりすることもなく、いつもゴキゲンだった。日本のコース、日本のクルマでレースすることを楽しんでいたから。
僕が本当に初めてレースのために来日したのは1997年。鈴鹿で行われたカートの「ワールドカップ」に出るためだったけど、その時もすでに日本に対しては興味津々だった。日本のレース関連企業の中には、ブリヂストンといったタイヤメーカーだったり、ル・マンでの歴史を持つ自動車メーカーだったり、幾つもの象徴的な企業があるから。どういうわけか、自分から情報を探そうとしなくても、僕の中には日本のレースとのつながりがあったし、僕はそれがとても好きだった。日本に来る前から、そういうことを感じていたし、実際に来ることになったって言うのはとても興味深かったよね。

Q.来日してすぐ、たまたま御殿場で会った時には、「ここは田舎で何もないし、やることもなくて暇なんだ」って言っていましたよね? その時は、ホームシックにかかっているのかと思っていましたが?

ロッテラー:もちろん、人生の中で大きな変化だったから。最初に住んだアパートは、少し古かったし、狭くて、あまり住み心地も良くなかったしね。だけど、それほどホームシックになったという感じではなかったし、大丈夫だったよ。色々と大きな発見が毎日のようにあったし、他のドライバーたちとも素晴らしいコミュニティーを築くことができた。幸運なことに、僕はベン(ブノワ・トレルイエ)と出会えたからね。ベンは(アンドレと同時にテストに参加した)セバスチャン(・フィリップ)の友達だったから、最初のテストの時に直接ナカジマ レーシングのピットに来たんだ。そこですぐにいい友人になったというか、兄弟みたいな関係になったんだよ。本当に、偉大な兄さんのようなベンと出会えて、僕は幸運だった。彼が鈴鹿に住んでいた時は、何度も訪ねて行ったし、ものすごく近しい関係で、お互いに母国から遠く離れている中で助け合ってきた。その後、彼が御殿場に引っ越して来てからは、毎日のようにラジコンカーで一緒に遊んだり、メラニー(ブノワの妻)が料理してくれて一緒に食事をしたり。当時、僕は映画の係だったんだよ。チームのスポンサーだったエプソンからもらったプロジェクターを持っていたから、それを組み立てて、夕食後には毎晩みんなで色々な映画を見たんだ。レースのシミュレーションゲームで一緒に遊んだり、トレーニングを一緒にしたり、夏場は河口湖にある友人の別荘に遊びに行ったり。常に、一緒に新しい冒険を楽しんでいた。その後、双方が東京に移ってからは、僕の人生はさらにエキサイティングなものになったよ。それまでも東京には時々遊びに行っていたけど、自分自身の部屋があって、僕の人生は“ここにある”っていう感じだった。2月から11月のシーズン中は、ずっと日本にいたわけだからね。冬の間は、クリスマス休暇の間だけ、ヨーロッパに帰って過ごすという状況だった。だけど、東京に大勢の友達がいたし、日本での生活をものすごく楽しんでいたんだ。自分の人生の一番いい時を日本で過ごしたわけだし、ホームシックにかかっている暇なんてなかったよ。素晴らしいレーシングカーに乗っていたし、東京で楽しく過ごしていたし、いい友人がたくさんいて、完璧だった。いい思い出しかないんだ。もちろん、ここ数年は、WECとSFに出ているからとても忙しくて、以前と同じような日本での生活はすることができない。常に、世界中を飛び回っているからね。それと比べれば、昔は日本で休暇を過ごして、東京で出歩くこともできたんだけど。

Q.フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラに参戦を開始して、9年目にようやくチャンピオンとなりましたが、それ以前、あなたの目標は何でしたか?

ロッテラー:僕にとっての“フォーミュラ ストーリー”はそれほど簡単ではなかったよね(笑)。SUPER GTの方が、もっと上手く行ったと思う。2回タイトルを獲っているから。一方、フォーミュラは、初年度はまずまずだったけど、2年目はリチャード(・ライアン)と同ポイントながらタイトルを逃してしまった。あれは、すごく悲しかったよ。その後も、毎年のようにタイトル争いには絡んだけど、途中でトムスに移籍して、そこから少し時間が掛かってしまった。トップフォーミュラに初めて参戦を開始したトムスが、チームとしてレベルアップするにも、ある程度の時間は要したから。その頃、インパルとナカジマ レーシングがすごく強かったしね。そして、スウィフトのシャシーを使い始めてから、トムスもより強くなった。タイブレークルールの影響で、山本選手に負けてしまった年もあったけど、あの年は2大会3レース欠場したからね。もし、欠場していなかったら、簡単にもう1回タイトルを獲れたと思っているよ。去年(2016年)だって、あと少しっていうところだった。いつもすごくタイトルの近くにいたよ。まぁ、他のドライバーでも同じような人はいると思うけど、僕は常に争いの中にいたし、自分たちのポテンシャルを考えたら、本来あと何回かはタイトルを獲っていてもおかしくなかったよね(苦笑)。でも、それもまた人生だ。

Q.そうですね。毎年のように、鈴鹿の最終戦が終わった後、ガッカリしていた姿を憶えています(苦笑)。そんな中で、ようやくタイトルを獲った時は満足感がありましたか?

ロッテラー:もちろん、すごく満足感があったよ。タイトルを獲ることが、常に僕の目標だったから。でも、それ以前に、2006年からフォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラに参戦を開始したトムスに、タイトルをもたらすことができて、ハッピーだった。それと同時に、2011年は僕にとって、とても偉大な年だった。ル・マン24時間レースで初優勝できたし、同時にフォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラのタイトルも獲れた。僕らには勢いもあったし、獲った満足感もあった。その後、一貴がチームに加入してきたこともチームにとって良かった。彼は強いドライバーだし、2回タイトルを獲っている。チームとしてとても上手く行っていると思うよ。

 

Q.ところで、あなたが日本でレース活動を何年も続けていることで、逆にヨーロッパの人々が、あなたのことを忘れ始めていたんじゃないかと思いますが、当時のあなたの夢は?

ロッテラー:正直言って、当時の僕の夢はアウディでレースをすることだった。でも、向こうにいた時、すぐにアウディに入るチャンスはなかったし、日本でレースを続けていることでどんどん忘れられていったよね。もちろん、アウディの人たちは、僕が日本でレースを続けていることは知っていたと思う。だけど、向こうの人たちは、日本のレースに対して全く興味を持っていなかったんだ。今は状況も良くなって来ているけどね。一方、僕にとっては、日本でレースを続ければ続けるほど、契約も含めて条件はどんどん良くなって行っていた。当時、ヨーロッパでは、日本で走るほどの条件が得られるところはなかったと思う。その中でたったひとつ、日本でのレース活動を諦めることができるとしたら、それは「アウディでル・マンに出場できる」ということだけだった。そのポジションを射止められるんであれば…と思っていたよ。そして、その夢が、幸運なことに現実となったんだ。色々な偶然が正しいタイミングで重なったこともあって。2009年、締め切りギリギリのタイミングで、チーム・コレスからル・マンに出られることになったのも、そのひとつ。ただ、さっきも言ったように、日本でのレース活動がその時もすごく役立った。SUPER GTから耐久レースの要素を学んでいたし、フォーミュラをやっていて体力も出来上がっていたから、ル・マンでもすごく容易に走ることができたんだよ。何でみんなが「ル・マンは、すごく偉大なレースだ」って口々に言っているのか、理解できなかった(苦笑)。「いや、全然大丈夫だよ」って感じだったし、その年のレースはすごく上手く行ったんだ。チームにアウディからエンジニアが派遣されて来ていて、レース後に、彼が「キミは、ワークスチームに入るべきだ」って言ってくれたし、他にも僕を推薦してくれた人がいた。それと全く同時に、アウディの人たちが、ベンのことも起用してくれたんだけど、僕らにとってはものすごく幸運だったし、夢が叶ったんだよ。僕とベンは、ずっとチームメイトになりたいって思っていたから。いつも、お互いに戦う必要はないって感じていたからね。決して、「僕の方がキミより速い」とかそんなことを言い合ったりする仲じゃなかったし、そんなことはイヤだった。それよりも友人という側面が強かったから、チームメイトとして一緒にレースをすることは素晴らしかったよ。

Q.少し戻りますけど、ヨーロッパで人々に少しずつ忘れられていくことに対して、“将来への不安”みたいなものはなかったんですか? 最近は少し違いますけど、以前は、日本でもヨーロッパ人のドライバーは即戦力を求められる助っ人でしたよね。日本の自動車メーカーは、日本人ドライバーの面倒を長期間見ますけど、ヨーロッパ人の場合は、いつか母国に帰らなければならなかった。その時に、母国でチャンスがなければレースを続けられないし、そのためにも母国の人々からの注目を失うわけにはいかなかったと思いますが…。

ロッテラー:そうなんだよね。だからこそ、アウディでレースをすることが夢だったんだ。アウディのドライバーたちは、とてもいい条件の下で走っているということが分かっていたから。誰が見ても分かるように、アウディはドライバーをとても大切にしていた。長い期間の契約を結んでいたしね。僕も、もしアウディでちゃんと成績を出せれば、その先には長い将来があるって分かっていたんだ。だけど、僕はそれと同時に、自分がそれまでやってきた日本のレースも続けたいと思っていた。その後、2012年にWECが始まった時には、最初、日本でのレース活動をやめるっていう決断をしたんだよ。WECに専念しようって。でも、スケジュールを見た時に、「日程が重複している所はあるけど、これならスーパーフォーミュラを続けてもいいよ」ってトムスサイドから言われた。チームがとても協力的で、僕がやろうとしている活動に理解を示してくれたんだ。だから、僕も決断を翻して、両カテゴリーに参戦することにして、日本とのリンクを持ち続けたんだ。日本との関係を諦めたくなかったし、いい選択をしたと思う。

Q.その翌年、一度ジェームス・ロシター選手にシートを譲ろうとしたこともありましたね?でも、2日間のテストの初日、ロシター選手が乗っていたのを見て自分も乗りたくなり、2日目にはあなたがテストしたことがありました。それぐらい諦めきれないものだったんですよね?

ロッテラー:テストの時の状況はよく憶えていないんだけど、あの時も、日本でのレースをやめようって思っていた。だけど、やめようと思ってから1ヵ月間ぐらい、ずっと最悪な気分だったんだ。「こりゃひどい。僕は一体この後どうしたらいいんだ。僕の人生はヨーロッパにはないし、友人がいるのも生活があるのも全部日本なのに」って。だから、「何か解決方法を見つけなくちゃ」って思って、やっぱり決断を翻して、日本でレースを続ける道を選んだんだ。

Q.その後は、JRPもWECとスーパーフォーミュラの日程重複を避けようとしてきましたが、それはあなたにとってもいいことでしたか?

ロッテラー:うん。JRPがそういう風に協力してくれたのはいいことだったよ。僕や一貴、ロイックの状況を理解してくれて。当時、僕らはスーパーフォーミュラにとってもメインプレーヤーだったと思うし、JRPがそういう努力をしてくれたのは嬉しかった。

Q.あなたは、アウディのドライバーになって、WECで世界チャンピオンになった後も、欧米のメディアに対して、常にスーパーフォーミュラのことを話してきましたよね?心の中で、自分がスーパーフォーミュラを代表するアンバサダー的な役割を担わなくちゃとか、そういう気持ちはありましたか?

ロッテラー:いや。自分が選手権のアンバサダーだとか、そんなことは思ったことがないよ。ただ、僕は“真実”を話していただけ。人々に、その真実を知ってもらいたかったんだ。世界を見渡しても、この選手権は独特なものだから。唯一、比較できるとしたら、インディカーということになるんだろうけど、インディカーの場合、僕らが使っているものよりクルマが遅いし、オーバルコースでのレースが含まれるから、違いも多い。その点、スーパーフォーミュラの場合は、ほとんどが完成されたプロのドライバーとチームだ。もちろん予算がそれほど大きくないのは、問題なんだけどね(笑)。だけど、スーパーフォーミュラに参戦しているチームもドライバーも、全員がこのレースに情熱を傾けているし、スポーツとして純粋に戦っている。大儲けするために、このレースをやっている人は、誰もいないんだ。確かに、レースで勝った時の賞金はいいけど、ドライバーだって、このレースで多額の契約金を稼いでいるわけじゃない。スポーツとしてやっているし、皆の心がこの競技に深く関わっているんだ。そういう意味で、すごく独特だと思う。だからこそ、僕らには、“一体誰が一番速いんだ”っていうことを見せられるチャンスがあるんだ。レベルはものすごく高いし、スーパーフォーミュラで優勝できれば大きな信用が得られる。それだけ勝つのが大変だって、みんなが知っているからね。

Q.近年は、あなたよりも若いドライバーたちが、この選手権であなたと戦っています。あなた自身、シリーズの中でも年長の方のドライバーになってきていますが、参戦を開始した20歳頃と何か気持ちの中で違いはありますか?

ロッテラー:うん。確かに、若干の違いはあるかな。今言われるまで、僕が年長ドライバーっていうのは忘れていたけどね(笑)。今でも自分が若いって思っているし(笑)。ただ、以前は名前を知られた若手ドライバーが、ヨーロッパに戻るためのつなぎとして、1年間だけ参戦するために、このシリーズに来るっていうことがなかったからね。去年のストフェルや、今年来たピエールみたいに。昔は、日本人ドライバーと、ずっと日本で戦う外人ドライバーだけだった。ここだけの戦いだったんだ。だけど、最近の国際的な動きっていうのは、この選手権にとって、とてもいいものだと思っている。今では、ヨーロッパの人たちも、日本でレースをすることで、ドライバーが多くのことを学べるって気づいたと思うよ。ここに素晴らしい土台と、プロフェッショナルな環境があるって。僕は、GP2とか、そういう類のシリーズの問題点って、“金持ちの子供たち”しかいないことだと思っているんだ。全くドライバーのクオリティーが違うんだよ。もちろん、中にはピエールのように才能のある子もいるだろう。でも、子供たちだけを相手にレースするっていうことは、ある時点まで来ると、あまり実りあるものじゃないと思うんだよね。それに、今ではそういう選手権で勝っても、ドライバーとして大した信用は得られない。その点、ここへ来て戦うという機会を持てば、誰もがこの選手権の成熟ぶりを知っている。ここで勝つ方が、ドライバーとしてはより信用を得られるだろう。問題は、この選手権がヨーロッパから遠く離れていて、ニュースになりにくいってことぐらいだよね。この選手権は金でメディアを買ったりしない本当の選手権だから。一方、ヨーロッパでは、過去15~20年ぐらいですべてが変わってしまった。主催者やメーカーから金を受け取って、特定の選手権ばかりレポートするようになって、ジャーナリズムは台無しにされたんだ。もっと昔は、違っていた。ジャーナリストたちは、純粋にモータースポーツを伝えていた。でも、それがすっかり様変わりして、すべてのモータースポーツ媒体が、金を要求し始めたんだ。そういう意味で、ヨーロッパのメディアは日本から金を得ることができないから、日本のニュースを載せないんだよ。僕らが今、直面している唯一の問題は、そうした世界的なパッケージ・メディアと戦ったり、彼らに何か申し出をしないっていうことだと思う。それこそが、世界的なメディアにニュースが乗らない唯一の理由だと思っているよ。もし、僕らにそういうシステムがあったら、ヨーロッパでももっと多くの記事を見かけるようになると思う。僕は過去、ヨーロッパのメディアの人たちと関係を作って記事にしてもらおうと何度も努力したことがある。だけど、彼らは「一体誰がそのための金を払うんだい?」って聞くんだ。僕にしたら、「キミらはジャーナリストだろう? レポートを書くのが、仕事だろう?」って呆れたよ。だけど、どの媒体も、スーパーフォーミュラのレポートを載せるために、何かしらの金が必要だって言うんだ。だから、僕もお手上げだったんだ。

Q.ところで、あなたは来年(2018年)もこのシリーズへの参戦を続けたいと言っていましたよね?

ロッテラー:うん。自分のスケジュールを確認して、他のシリーズと組み合わせることが出来るなら、そうしたいと思っているよ。ポルシェのLMP1-Hプロジェクトが終わってしまったから、これまで以上に自由はあると思っている。WECのレース数も減ったしね。

Q.過去、インパルの星野一義監督は、48歳でこのカテゴリーから引退しました。その他のドライバーでも、長い人であれば40歳ぐらいまでは続けています。今後、どれぐらい長く、このレースに参戦を続けたいですか?

ロッテラー:それは分からないよ。毎年、毎年、その年に続けるかどうかを決めているわけだから。それに、将来に関しては、舘さんと相談してっていうことになる。ただ、そういう風に、1年ごとに決断を下す機会を与えてもらっていることには、とても感謝しているんだ。ただし、現時点で、僕はまだスーパーフォーミュラを諦めたくないって思っているよ。今でも、出ていて気持ち良く思っているし、続けたい。サトシ(本山哲)が辞めたのはいつだっけ? 僕は彼の優勝回数記録を破りたいんだ。それが多分、僕の今の目標だし、それを達成したら、その先どうするか考えると思うよ。

Q.どうして、そんなにこのレースに出たいんですか? このレースは、あなたにとって何なんでしょう?

ロッテラー:ただ、好きなだけだよ。フォーミュラカーでレースをするのが好きだし、もしこのレースをやめたら、僕の“本当のスピリット”がどこかへ行ってしまうような気がするんだ。確かに、時々はすごく疲れることもあるんだよ。例えば、月によって、僕は毎週レースに出なくちゃいけないこともある。それに、このシリーズに出ても大金が稼げるわけじゃない。だから、これまでだって何度も、「なぜこのシリーズでレースを出ているんだ?」って自問自答することはできたはずだ。「納得できないならやめればいいじゃないか」ってね。でも、僕はレーサーだ。ここでレースをする機会があって、レースを続けてきたし、勝利に対しての貪欲さもある。チームと一緒に勝ちたいし、選手権を獲りたい。キャリアの中で、できるだけたくさん勝ちたいし、それこそ僕の真価だと思っているんだよ。

Q.今でも、このクルマに乗ると、エネルギーとかアドレナリンを感じるっていうことですね?

ロッテラー:もちろん。クルマが思い通りに決まっていなくて、難しい時もあるけど、それでも僕はいつもこのクルマに乗ることを楽しんでいる。このクルマでレースをできるっていうことは、本当に幸運だと思っているんだ。本当に、このクルマでレースできるなんて“クール”だよ。DTMに乗っているドライバーたちを見たって羨ましくも何ともない。僕は、非日常的で、F1と比べても遜色ない速さを持つこのクルマでレースをしていることを、とても誇らしく思っているんだ。F1ドライバーたちは、何で毎年レースを続けていると思う? 同じ質問を(フェルナンド・)アロンソたちにしてみるといいよ。彼らは、その質問に簡単に答えるだろう。「F1は大きな世界だし、大金が稼げるから」とか何とかね。だけど、究極の答えは、僕と同じはずだ。“速いクルマでレースができるから”っていうことだけ。もしF1から金だの、名声だのといったものをすべて取り去って、誰もいないコースに1台だけポンと最高のF1カーを置いてごらんよ。レーサーにとっては、その素晴らしいクルマ以外、どうでもいいはずだ。

Q.だから、このクルマのステアリングを誰かに渡したくないんですね?

ロッテラー:まさにその通りだよ(笑)。

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