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新タブロイド紙「STAGE」特別インタビュー ピエール・ガスリー編_part2

2017年5月11日

Q.GP2の初年度はピレリタイヤの使い方を知らず、ミスを犯したこともあったけれど、2年目にはそれにも慣れてチャンピオンを獲得したと言っていましたよね。ただ、何かの記事で、去年は交通事故に遭ったということを読みました。一体何があったのでしょうか?

 

PG:シルバーストン大会の金曜日の朝、僕のトレーナーのマチュー(ザンガレリ)が運転して、30マイルほど離れたホテルからサーキットに向かっていたんだ。父が助手席、僕と母が真ん中の列、後方に僕のチームメイトとトレーナーが乗っていて、他愛のないことを話しながら、前にいるクルマに付いて行っていた。極めて普通の朝だったよ。その時、前を走っていたクルマが左にウィンカーを出して、スピードを緩めたんだ。だから、僕らはそのクルマを抜こうとして右に進路を取ったんだけど、そのウィンカーを出したクルマが突如Uターンしたんだよ。マチューには避けるだけの時間がなくて、ぶつかって、そのまま路肩の草原に突っ込む形になって、クルマは4回横転した。僕にとっては、初めて体験した交通事故だったし、最悪だったよ。クルマが停止した時は上下逆さまになっていて、ガラスというガラスが全部粉々に砕け散っていた。母は、あばら骨が2本折れていて、それが片方の肺に刺さっていたし、脊椎や膝にも損傷があるなど重傷で、息ができないって叫んでいて、自分でクルマから出られなかった。助手席にいた父も自分では出られなかったんだ。それがフリー走行の2時間前の出来事。僕も背中に痛みはあったたけど、それ以上に母が死んでしまうんじゃないかっていうことが心配で、あまり自分の痛みは感じなかったね。僕らのクルマが止まった場所は、道路から30mも離れていて、走っているクルマからは見えない位置なんだけど、事故を目撃していた多くのクルマが止まって助けてくれたよ。母をクルマから下して地面に寝かせた後に、救急車も到着して病院の集中治療室に連れて行った。母は酸素吸入器から何からをつけられた状態で、そこに3週間入院したんだ。最悪の気分だったよ。幸い全員命に別状はなかったんだけどね。一方、僕はそんな状況で迎える初めてのフリー走行だったけど、なるべく交通事故とは別のことを考えようと努めて走った結果、フリー走行ではトップ、予選でも2番手。そのセッションが終わった金曜日の夜、母の状態が深刻で、僕が事故直後以上にショックを受けると思った父は「お前は病院に来ない方がいい、明日のレースに集中しなさい」って言ったんだ。そして、土曜日のレースで僕は勝った。それが僕にとってGP2での初優勝だったんだよ。すごく変な気分だった。母がシルバーストン近くの病院にいて、両親ともにサーキットにはいない。彼らが僕のレースに来なかったなんて、ほとんど初めてのことなのに、僕は勝って…。もちろん勝ったのは嬉しいんだけど、その後、病院に母を見舞ったら、ツラい事故の瞬間を思い出したからね。息ができないから、母の回りには色々な機械があってさ。そのまま母はイギリスで3週間、フランスに戻って1ヶ月も入院していたんだ。さらに、自宅に病院用のベッドを持ち帰って、そこで2ヵ月間ほど静養しなくちゃならなかったから。アブダビの2週間前まで、寝ていなくちゃならなかったんだよ。一方、僕はシルバーストンのレースの後に、レッドブルのF1テストが2日間あったんだけど、激しい背中の痛みに見舞われた。その痛みで「これは何かがおかしい」って思って、フランスに帰ってから検査をしたら、脊椎の一部が欠けていたんだよ。今ではほとんど直っているけど、僕はその状態でシルバーストン以降、アブダビまでのレースを戦った。それは外からは余り分からないこと。持ている人たちは成績だけで、良かったとか悪かったって言うだけで、その傍らで起こっていることは知らないからね。でも、僕にとっては、そういうことがあったからこそ、なおさら去年の結果が嬉しかった。シルバーストン以降は、個人的に大変だったから。レースを終えて家に帰って、母が病院のベッドに寝ているのを見るのはツラかったよ。大きな手術をして、脊椎やあばら骨を正しい位置に保つために、2枚も大きな金属のプレートが入っていたから、寝ているしかなかったんだけど、そんな母の姿を見るのはいいものじゃないよね。もともと母はとても行動的で、僕を助けるために色々なことをしてくれていたから。航空チケットや宿の手配、スポンサーとのやり取りなんかも、全部母がやってくれていたんだ。それも全部自分でしなければならなかった。でも、そういう状態がより僕を強くした。もともとチャンピオンを獲りたいと思っていたけど、母のためにもっていう風に思ったからね。僕は、いつもそういう風に、ものごとのポジティブな面を見ようとするんだ。そうすることでより多くのエネルギーを得られるし、僕はいつも物事とそういう風に付き合おうとしている。

 

Q.先ほど、自分自身も脊椎の一部に損傷がありながら、最終戦までレースを続けたと言っていましたけど、通常はドクターストップがかかりませんか?

 

PG:検査結果を知る前に、すでにシルバーストン、ハンガリー、ホッケンハイムでのレースに出場していて、ホッケンハイムから戻って初めて結果を知ったんだよ。それでスパのドクターに自分のケガの状態を告げたら、「分かった。じゃあ、出場するのは止めなさい」って言われたんだ。「ベッドで3週間、寝ていなさい」って言うんだよ。僕は「だけど、よく結果を見てください。僕はシルバーストンでもハンガリーでも優勝したし、ホッケンハイムでも最終的に失格にはなったけど、3位でチェッカーを受けたんですよ。それだけの戦闘力はあるし、大丈夫です」って言ったんだ。「確かに超安全ではないけど、レースはできます」ってね。レース中、アドレナリンが出ている時は、痛みを余り感じなかったし、問題なかったんだ。だから、ドクターは最初止めたけど、そこからメディカルセンターで2時間近い話し合いの末、レースしていいってことになった。何かクラッシュがあったり、縁石に乗ったりして問題があったら検査しに来なさいっていうことだった。でも、もう少しでスパのレースに出られないところだったんだよ。

 

Q.もし検査結果がもっと早く分かっていたら、ドクターストップがかかって休まなければならず、タイトルは獲れなかったですよね? 一方、その状態でクラッシュでもあったら、それも問題。いずれにしても、あなたのキャリアに大きな影響を及ぼす事態だったと思いますが?

 

PG:いや、その点、僕の考えはハッキリしていたよ。僕はレースがしたかった。GP2が自分のキャリアにとっていかに大切かっていうことが分かっていたから。だから、僕はレースをすると決めたけど、ドクターたちの考えは僕とは違っていたよね。特に、スパでは、レッドブルがF3のドライバーを連れてきていて、もしドクターが僕に対してダメと言ったら、代わりに乗せる準備までしていたんだ。水曜日の夜、その代役になるかも知れないドライバーと食事をして、木曜日には2時間メディカルセンターで話して。すごいプレッシャーだったし、週末を前に素晴らしい気分とは言い難かったね。ドクターたちは、僕がもっと前に報告しなかったことを快く思っていなかったし、大変な話し合いだったよ。

そこでレースに出られなければ、僕のキャリアは終わるかも知れないっていう場面だったからね。だけど、僕はタイトルを獲って、キャリアも終わりにならなかったから良かったよ。

 

Q.GP2でタイトルを獲れば、今年F1ドライバーになれると期待していたと思いますが、残念ながらステップアップは叶いませんでした。そのことをレッドブルの人から告げられた時には、どういう気分でしたか?</h5>

PG:ものすごくガッカリしたよ。F1に上がるために、僕はGP2でチャンピオンになることが仕事だと思っていたからね。それを成し遂げたのに、F1に行けなかったんだから、寂しかったよ。だけど、タイミングが合わなかっただけだと彼らは言っていた。僕は正しい場所にいるけど、タイミングが合わなかったって。だから、もう1年待たないとならない。僕はフォーミュラ・ルノー2.0でチャンピオンになり、3.5をシリーズ2位で終えて、GP2でタイトルを獲った。F1に乗っている他のドライバーを見たら、それ以下の成績でシートを得た選手だっている。だから、僕はF1に行けると思っていたんだけど、今年はそれが叶わなかったんだから、受け入れるのは難しかったよ。しかも、GP2のタイトルが決まる前に、それを告げられたんだからね。最終戦のアブダビでは、僕がタイトルを獲ろうが獲るまいが、F1に行けないと分かっていた。だからこそ、ここで自分の力を見せて、彼らの選択は間違っていたっていうことを知らせたいって思っていたよ。そして、タイトルを20歳で獲った。ニコ・ロズベルグに次いで、GP2では2番目に若い年齢でのチャンピオン獲得だったんだ。ハミルトンやヒュルケンベルグ、ストフェルが獲った歳よりも若かった。そして、GP2でタイトルを獲ったら、次のステップは当然F1。だけど、そこがサッカーとは違う所なんだよね。サッカーだったら、2部リーグで優勝したら、間違いなくプレミアリーグに上がれる。だけど、モータースポーツはそうじゃないんだ。パフォーマンスだけではなく、政治やお金が絡んでくるからね。そこは僕が好きな側面ではないけど、ゲームの一部だから、上手く付き合って行かないとダメなんだよね。

 

Q.レッドブルとの最初の契約がなくなった時は号泣したと言っていましたけど、去年F1に上がれないって言われた時はどうでしたか? やっぱり涙しましたか?

 

PG:ううん。激怒した(笑)。フォーミュラ・ルノー2.0の時は、15歳だったからね。その時と比べたら、僕の成熟度も違うから。ただ、去年に関しては、オースティンに行くまでは、すべて順調という感じだったんだ。僕はGP2のレースに集中しなくちゃと思って、木曜日に現場に入ったんだけど、向こうから「F1のことで今話し合いをしているから」って言ってきた。でも、金曜日になったら、「どうも雲行きが怪しくなった。僕らはダニール(クビアト)との契約書にサインしなくちゃならない」って言うんだよ。「何で今サインしなくちゃならないの? アブダビまで待てないの?」と思ったね。アブダビまではまだ3戦もあったし、そこまでに彼がいいレースをするかどうか、僕がGP2のタイトルを獲れるかどうか待ってくれたっていいじゃないかって思った。そして土曜日の朝、9時にサーキットに着いたら、「これからすぐに彼とサインする」って。たった1日で突然全く状況が変わって、メチャクチャになってしまったんだ。それに対して、僕は何も言えなかったし、ものすごくハラが立ったよ。特に、チャンピオンシップの途中で決められてしまったことにね。

 

Q.それを告げられた後、あなたは今年に向けての選択肢を探さなくてはならなかったんですよね? あなたから、レッドブルに何かリクエストはしましたか?

 

PG:うん、したよ。僕の望みは極めてシンプルだった。2017年はF1で走れないんだから、来年F1に乗る準備をするために最高の選択肢を見つけなければならないっていうことだけだった。今、僕の目標は、来年F1に乗ることだから。そこからすべてのシリーズを検討した。DTMやLMP1、フォーミュラE、インディカー、そしてスーパーフォーミュラ。だけど、それほど選ぶべき道は多くない。そこで、ストフェルがGP2タイトルを獲った後の活動を見た。彼もGP2タイトルを獲った後、僕と似たような状況だったからね。そのまま一気にF1に行けなかったから。そして、彼がスーパーフォーミュラに出た後、F1のシートを得たのも分かっていた。だから、スーパーフォーミュラがベストな選択肢だと思ったんだよ。クルマがF1に一番近いとも思ったしね。ダウンフォースレベルもF1に近いし、エンジンもパワフルだ。

 

Q.スーパーフォーミュラに関しては、ストフェルやロイックといったドライバーから話を聞いて、来日前に持ったイメージがあると思いますが、実際に来てみて、イメージと違った部分はありますか?

 

PG:僕は、ヨーロッパの人たちが思っているよりも、ずっといい環境だと思う。クルマもいいし、コンペティティブだし、チームもプロフェッショナルだ。ヨーロッパでは、それほどスーパーフォーミュラのことは話題にならないし、みんなクルマのこともチームのこともよく分かっていないけど、僕にとっては思っていた以上にプロフェッショナルだった。予想とそれほど大きな違いがあるわけじゃないけど、考えていた以上に良かったよ。だから、すごくハッピー。選手権のレベルもすごく高いし、経験豊富なドライバーが多いよね。アンドレはLMP1-Hで活躍しているし、カズキはウィリアムズF1のドライバーだった。ナレインやカムイもF1ドライバーだったし、クニモトも今年LMP1-Hのドライバーだ。よりプロフェッショナルなドライバーが多いし、GP2よりも経験豊富で、それがチャンピオンシップをタフにしていると思うんだ。GP2に場合は、最長でも経験4年とかそれぐらいの相手と戦うわけだけど、向こうではたった4年の経験でも、「わあ、ベテランだな」って言われるんだ。なのに、ここでアンドレは15年間も戦っている。それ以外のドライバーの多くも7~8年は経験があって、クルマにしてもサーキットにしても、隅々まで知っているよね。だから、ここに来て彼らと戦うのは、より難しい。それだけの経験がある分、GP2ドライバーよりもミスも少ないしね。GP2は多くのドライバーが資金を持ち込んでいるけど、ここではほとんど全員プロとして走っているし、多くのドライバーがトップレベルに到達していて、今さら自分の才能を証明する必要もない。だからこそ、F1に向けていい準備ができると思っている。F1と共通する部分もあるしね。エンジニアの数もGP2より多くて、ドライバーは正確なフィードバックが要求されるし、エンジンのマニュファクチャラーとの仕事もあってF1に近いんだ。だから、僕の選択は間違っていなかったと確信している。ストフェルが来てすぐに勝てなかったのを見ても分かるように、簡単に勝てるシリーズではないけど、とにかくステップ・バイ・ステップで成績を出せるようになりたいと思っているよ。ずっとプッシュできる楽しいクルマだけど、成績が良ければもっと楽しく感じられるからね(笑)。

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