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Story 2021:大津 弘樹 「人生で最大の”勝負の1年”」

2021年3月31日

2021年。春は駆け足でやってきた。森や林、街路には、椿、梅、木蓮、桜、水仙といった花々が一斉に咲き揃う。花屋の店先にも、フリージアやチューリップ、スイートピー、ラナンキュラスなどが美しさを競い、まさに百花繚乱の時を迎えている。そうした艶やかな花々をよそに、足元でひっそりと可憐に咲く青紫色のスミレ。今年、全日本スーパーフォーミュラ選手権に正式デビューを果たす大津弘樹は、そんなスミレのようなドライバー。決して派手さはないが、ただひたむきに、ただ諦めずに冬を超え、今ようやく大輪の花々と肩を並べるところまでやってきた。

日本中が、いや世界中が、まだ”音速の貴公子”アイルトン・セナの事故死に悲しんでいた1994年5月25日、弘樹は大津家の長男として生まれた。2つ上の姉、2つ下の妹、3人兄弟の真ん中として育った弘樹は、子供の頃から大のクルマ好き。遊園地のカートや足で漕ぐクルマの乗り物で遊ぶのが常だった。若い頃にモトクロスを嗜んでいた父は、そんな弘樹を見て、危険がないモータースポーツをやらせてみたいと考えたそうだ。モトクロスに怪我はつきもの。そこで弘樹が5歳になると、東京のシティカートコースに連れて行き、子供用のレンタルカートで走らせる。「初めて乗った時のことはよく覚えています。本当に楽しくて、楽しくて、もっと乗りたいと思いました」。すっかりカートに魅了された弘樹を見て、両親は毎週のように子供たちを連れてカート場へ。初走行から1年もしないうちに父は弘樹にカートを与え、レースにも出場するようになっていく。その当時、父は自ら会社を経営しており、カート資金も惜しまなかった。弘樹は、子供ながらに3台のカートを持ち、各サーキットのレースを戦っていた時期もある。2001年には父と2人で鈴鹿のF1日本GPを観戦。2コーナーで見たF1の速さに衝撃を受け、憧れを抱くようになった。青が好きだった弘樹のお気に入りは、その年で引退を決意したジャン・アレジとミカ・ハッキネン。小さな弘樹はアレジのレプリカヘルメットでコースを疾走していた。
 
小学生時代も、弘樹の毎日はカート漬け。放課後、週に2回は、最寄りの秋ヶ瀬サーキットに通い、夕方から夜までカートで走る。夏休みは毎日のように走りに行った。同じように秋ヶ瀬に通っていたのが、佐々木大樹兄弟や松下信治姉弟。練習の終わり、彼らとはいつも自然にレースになる。いい仲間だった。そんな活動の中、弘樹は茂原や秋ヶ瀬、地方選手権の東日本シリーズでチャンピオンを獲得。全国大会でも優勝を果たした。そして、中学2年生になると、全日本選手権へとステップアップ。初年度にKF2クラスで早くもチャンピオンに輝いた。まさに順風満帆にも見えるキャリアを歩んでいた。「これで16歳になれば限定Aライセンスが取れる。早く4輪に上がりたい」。まだ14歳の弘樹はそう考えていた。翌年は全日本カート最高峰のKF1クラスに挑戦。だが、全く成績は振るわない。この体制で翌年もカートを続けるのか。それとも4輪に上がるため、スクールに入る方がいいのか。悩ましいところだった。


 
ところがその頃、世界経済はアメリカ発のリーマン・ショックに襲われ、景気後退の局面に。弘樹の父も、その煽りを受ける形となった。何とか会社の存続をと、新たな業態も模索したが、なかなか上手くいかなかった。年に何百万円とかかる全日本カートのために費用を捻出することも難しくなる。父は弘樹に、「しばらくレース活動を休んで欲しい」と告げた。
その言葉を素直に受け入れた弘樹。だが、レースを諦めたわけではない。それまでは親に甘えていた。自分の力で何とか4輪に上がらなければ、レース人生のスタートラインにすら立てない。高校に入学すると、5月生まれの弘樹は、間もなく学校で禁止されていた原付免許を取得。平日の放課後は有名カレーチェーン店で数時間、休日は時給の良かった引越し屋で朝から夕方までというアルバイトを始めた。また、中古でミッション付きの原付を購入。1ヶ月働いて資金が貯まると、その原付でギヤチェンジの訓練をしながら、埼玉から茨城の筑波サーキットに向かう。FJやスーパーFJで練習走行をするためだ。だが、1ヶ月必死で働いて得た金は、30分の練習走行を4回も走れば、全て吹っ飛んでしまう。「レースって何てお金がかかるんだ」。それまで両親がいかにサポートしてくれていたかが身にしみた。”絶対にプロのレーシングドライバーになって、将来は親孝行する”。弘樹は固く心に誓った。短い練習時間の中、ひとつひとつのコーナーで弘樹は少しでも上手くなれるよう、ギヤチェンジやブレーキングなどに集中して走っていたという。一度クラッシュしてしまった時には頭が真っ白になったが、それでもへこたれることなくコツコツと努力を積み重ねていった。時には、夜行バスで鈴鹿へ走りにも行った。スクールに入るためには、ある程度、鈴鹿での経験が必要だと思ったからだ。
 
そんな高校3年間を送った弘樹は、18歳でようやくSRS-Fに入学。会社員となり、生活に少し余裕が出てきた父は、毎日バイトしてでもレースを諦めない弘樹の頑張りを見て、できる限りの費用を援助してくれた。だが、弘樹には鈴鹿で一人暮らしをするほどの余裕はなく、相変わらず毎日のように引越し屋のバイトを続ける。そして、スクールがある時は、姉の軽自動車を借りて、埼玉から鈴鹿まで走って行った。周りの生徒は、弘樹よりも年下の少年ばかり。カートから上がってきた年少のドライバーたちは、最初からポンポンと好タイムを出す。一方の弘樹は、スクールカーで全く上手く走ることができずに悩んだ。その弘樹の相談に乗ったのが、当時アドバイザーだった武藤英紀。「僕って話しかけづらいタイプだと思うんですけど、大津は熱心に質問してきました。その姿勢がとにかくひたむきで。そもそもスカラシップで上がってくるドライバーって、スクールカーとかミドルフォーミュラの時には悩まなくても速いじゃないですか。でも、大津はそこで悩んでいて。ただ、僕はこういう一生懸命で諦めないドライバーにこそ、プロになって欲しいって思いました」。トレーニングの際にも、武藤とともに汗を流すようになった弘樹は、スクールの終盤になってようやく走りを掴み、成績も上向き始める。最終選考のレースでは、福住仁嶺、坂口夏月に次ぐ3位。だが、スカラシップには選ばれなかった。「もうこれで人生終わった…」。どん底まで沈み、真っ暗な気分で帰路についた弘樹。そこに”落ち込むのは時間の無駄だ”と激励の声をかけ、翌日トレーニングに誘ったのも武藤。その裏で、武藤は何とかSRS-F枠を作って、大津がF4に参戦できないかと関係者に対して進言していた。結果、持ち込み資金は必要だったものの、大津は2014年に地方選手権F4のFCクラスに参戦。鈴鹿のガレージ関係者や両親が弘樹を後押しした。その翌年は、HFDPの枠でFIA F4にステップアップし、幾度も表彰台に上がった。だが、同じ年の注目選手となったのは、牧野任祐や坪井翔。弘樹は、シリーズ3位という成績を残したものの、格別に目立つ存在ではなかった。
 
それでも、HFDPの育成枠に残留。2016年にはリアルレーシングから全日本F3にステップアップを果たす。チームメイトは、現在トヨタ系のチームに移籍し、今年弘樹と同様、全日本スーパーフォーミュラに正式デビューする阪口晴南。晴南が最初のテストから好タイムを出す中、弘樹はやはり走り方が上手くつかめず、序盤は苦労した。そこに時々声をかけたのが伊沢拓也。伊沢も自分のレースを戦っていたが、時折F3のピットに来ては、データを見て若い2人にアドバイスをしてくれた。その年の成績はシリーズ9位と振るわなかったが、翌年は日本を離れた牧野に代わって、戸田レーシングに移籍することになる。1台体制のチームだったが、ここで弘樹の成績は上向き始めた。しかし、表彰台には上がるものの、なかなか勝利は掴めない。ようやく最大のチャンスが来たのは、ダブルPPを獲得した最終戦・菅生だった。だが、初日のレース1は、タイヤを酷使した結果、コースアウトしてリタイヤしてしまう。”ここで勝てなかったら来年はないと思った方がいいよ”と言われて臨んだレース2。弘樹はトップを守り切り、F3初優勝を果たす。戸田レーシングにとっても久々の優勝。武藤や伊沢だけでなく、ホンダの多くの先輩や支えてくれた多くの人々が弘樹の周りに集まり、その勝利を自分のことのように喜んだ。弘樹の目からは涙が溢れていた。


2017年全日本F3選手権 戸田レーシングから参戦し、最終戦菅生大会で初優勝を果たす 写真©SFLA

しかし、翌年はフォーミュラのシートを喪失。スーパーGTの300クラスで道上龍とともに戦う中で、何とか復帰の道を模索した。F3チームを立ち上げた道上には、”乗りたい”ということを折に触れてアピール。GT500に乗るためにも、ダウンフォースが大きいフォーミュラカーでのドライビングは必要だった。そして、2019年にF3に復帰を果たす。成績は思うように出なかったが、エンジニアの伊与木仁からは多くのことを学び、クルマに対する理解を深めて行った。年末に行われたスーパーフォーミュラのルーキーテストでは、大湯都史樹とオーディションで競う。この時は残念ながらシートを得られなかった。だが、復帰して戦ったF3での経験は、昨年デビューしたGT500での走りにもしっかりと生きている。

大津のアドバイザー役を務めるのはSGTではチームメイトの伊沢拓也

そして今年、弘樹はようやく国内トップフォーミュラのシートを掴んだ。来月には27歳。他のルーキーに比べて遅咲きであるからこそ、今年はこれまでの人生で最大の”勝負の1年”だ。彼は一体どんなシーンを見せてくれるのか。「開幕にちゃんと合わせて準備できればいいと思っていますし、最初のテストではビリじゃないかと思っていました」というが、その鈴鹿テストでは総合2番手のタイムを記録し、存在感をアピール。開幕戦の舞台となる富士のテストでは若干苦労の跡も見受けられたが、勝負できるポジションで終了した。その弘樹の傍らには、GTでコンビを組む先輩、伊沢の姿が常にある。データや走りを見て弘樹にアドバイスしたり、チームと弘樹の間で橋渡しをしたり、伊沢の目は真剣そのものだ。他の先輩ドライバーたちがそうだったように、伊沢も心から弘樹を応援しているのが伝わってくる。その支えを栄養分にして、弘樹はきっと可憐な花を咲かせてくれるに違いない。その花を目にする時、きっと誰もが心動かされることだろう。

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