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チャンピオンズ・ストーリー Story 1: ラルフ・シューマッハ(1996年)

2020年4月23日

1996年、まだ頬が赤く、幼ささえ感じさせる弱冠20歳のドイツ人ドライバーが日本へとやって来た。その名は、ラルフ・シューマッハ。アイルトン・セナに変わりF1を席巻していたミハエル・シューマッハの実弟ということで、彼の存在は大いに話題となる。その数年前、インターF3リーグに参戦した際、兄ミハエルは関係者を集めたパーティーの席上でこう語っていた。「弟は、僕以上のスピードを持っているよ」と。

そのラルフが参戦したというだけでなく、所属したチーム・ルマンのメインスポンサーが国内屈指の人気ロックバンド『X JAPAN』だったこともあり、開幕戦の鈴鹿サーキットは異様な熱気に包まれた。実際、X JAPANのボーカリスト、TOSHIも決勝レースを見守るために来場。レースファンだけでなく、X JAPANのファンたちが大挙してスタンドにやってきたからだ。
その盛り上がりの中、ラルフは開幕戦から表彰台を獲得。2戦目の美弥サーキットでは早くも優勝を果たす。さらに第4戦十勝でも勝利をもぎ取った。中盤戦に入ると、当時日の出の勢いを見せていた高木虎之介が挽回。だが、その後、ラルフのライバルとなったのはチームメイトの服部尚貴、そしてフォーミュラ・ニッポン初年度開幕戦でシリーズ最年長優勝を飾り、この年でフォーミュラを去ることになる星野一義。タイトル争いは、この3人に絞られていった。中でも、ラルフが意識したのは服部。富士で速さを見せる服部に対し、第7戦では予選後、ラルフのマネージャーから”服部のモノとエンジンを交換してくれ”というオーダーが出て、実際に交換して走ることに。結局、決勝でも服部が優勝を果たし、ラルフサイドは服部に頭を下げることになる。彼らはそれほど勝利にこだわっていた。ちなみに、この時ラルフのマネージャーを務めていたのは、現在F1スクーデリア・アルファタウリのチーム代表であるフランツ・トスト。2人で山中湖の一軒家に住み、トストがラルフの身の回りの世話もしていた。

そして迎えた最終戦は雨の中のドラマチックな幕切れ。最初に戦列を離れたのはラルフだったが、その後、PPスタートの星野がクラッチトラブルからリタイヤ。無難に走り切ればタイトルを取れるところにいた服部も、Aコーナーでコースオフし、リタイヤとなる。その結果、ラルフは全日本スーパーフォーミュラ選手権の前身、フォーミュラ・ニッポンの初代王者に輝いた。

1996年のリザルトはこちら

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