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Story:大湯 都史樹 「カペタみたいになりたい。僕もレースをやってみたい」

2020年12月3日

“カペタみたいになりたい。僕もレースをやってみたい”。
北海道札幌市で1998年8月4日に生まれた大湯都史樹は、2人兄弟の長男。マンガやアニメが好きな子供として育った。小学校に上がって間もなく、都史樹はTVで見たカペタに惹きつけられ、レーシングカートに興味を持ったのだが、それは父、晃弘譲りだったのかも知れない。晃弘も、もともとクルマ好きでレース好き。日本人初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟が日本全国にブームを巻き起こした時代には、熱心にF1を見ていた。その後、都史樹が生まれる数年前には、北海道で食品加工などを行う会社を立ち上げ、妻、典子と二人三脚で目まぐるしく働く日々。両親ともに外出していることも多く、幼い都史樹たちは留守番をしながら自分たちで料理を作ったりすることもあった。普段、十分に構ってやれないという罪悪感もあったのだろうか。晃弘は都史樹がカートに興味を持ち始めると、それを全面的に応援するようになっていく。最初に連れて行ったのは、南幌町のリバーサイドカートランド。友人のカートを借りて走った都史樹は、最初から夢中になって走り、しかも速さを見せた。そこで、晃弘は札幌のスカラというカートショップでカートを購入する。次に出かけたのは、新千歳モーターランド。都史樹が小学校3年生の時のことだ。たまたまレースウィークだったこともあり、都史樹はいきなりレースデビュー。そこから本格的にカートレースを始めることとなった。TV中継を見て、ミハエル・シューマッハに憧れていた都史樹にとって、F1ドライバーになることが夢。その夢に向かって、都史樹は夏場だけでなく、冬には父の会社の駐車場で、雪の中、レインタイヤを履いてカートを走らせていた。都史樹のマシンコントロール能力は、こうした練習の中で培われたものかも知れない。

小学校5〜6年になると、都史樹は道内だけでなく、次第に本州へと活動範囲を広げて行く。その中で、ある時、御殿場のレーシングパレスでのレースに出場したのだが、そこに見学に来てくれたのが、同郷のトップドライバー、平中克幸だった。実は、平中もレーシングショップ・スカラでカート時代に腕を磨いた先輩。社長の川原田紀一が「一度見に来てくれないか?」と平中を誘い、そこで平中と都史樹は出会った。

中学生になった都史樹は、鈴鹿や瑞浪に練習場所を移し、北海道から行き来。全日本カート選手権に参戦を続ける。同世代のライバルは、現在チームメイトの牧野任祐や福住仁嶺、阪口晴南ら。中でも、実家がカートショップを営む晴南は、”雲の上の存在”。ある意味、憧れのカーターでもあった。そんな彼らと戦う中、中学校3年生の頃の都史樹は、成績が伸び悩む。現場では、チーム関係者から厳しい言葉もかけられた。家でも、父からは叱咤激励される。逃げ場を失った都史樹は精神的にかなり追い詰められ、家では部屋に閉じこもりがちになったという。気分転換は、好きなアニメを見ること。NARUTOを見てレースのことをしばし忘れたりするうち、少しずつ強さを身につけていった。その一方、見えなかったのは将来のこと。ここからどうやって夢のF1にたどり着けばいいのか。情報や環境が本州と違う北海道に暮らす都史樹には、さっぱり方法が思いつかなかった。

そんな都史樹を見て、晃弘が頼ったのが平中。例年、札幌で関係者を集めてニューイヤーパーティーを開いていた平中は、スカラの川原から晃弘を紹介され、話を聞いた。「息子をプロにさせたいんです」。晃弘の熱い気持ちを受け止めた平中は、「できる範囲でお手伝いします」と、まずは懇意にしている十勝スピードウェイの社長に掛け合い、まだ免許がない都史樹をザウルス・ジュニアに乗せた。その後、岡山国際サーキットへ。平中がルーニースポーツの植田正幸代表に都史樹を紹介して、スーパーFJに参戦を開始する。そこから都史樹がSRS-Fに合格するまで、平中は都史樹のレースについて回り、サポート役を務めている。F1に行きたいなら、ホンダに行くべきだと思ったからだ。「都史樹は最初から”速いな”という印象でした。ただ、荒削りでコースアウトも多かったので、その辺は僕が教えていった感じです。僕が言ったことにチャレンジしますし、そこに自分の色を付け足して考えていくタイプのドライバーでしたね。まあ、走り出すと本能のまま行っちゃう所もあるんですけど(苦笑)。でも、僕も北海道から出てきてプロになりましたし、頑張ってくれたらいいなと思っています」。今年、平中は、都史樹のスーパーフォーミュラ全戦を見守っているそうだ。
ジュニアフォーミュラとカートの活動、さらに学校の授業と、多忙を極めた都史樹は、高校2年いっぱいで通常の学校を退学。SRS-Fに入学したのと機を同じくして、鈴鹿に居を移し、通信制の高校に転学した。友人もいない鈴鹿だが、初めての一人暮らしはワクワクの連続。北海道にいないゴキブリの出現には悩まされたが、楽しい日々を過ごした。しかも、SRS-Fでは笹原右京や角田裕毅を上回る成績を残して首席で卒業。スカラシップを勝ち取った。

2018年全日本F3選手権開幕戦(写真:SFLA)

その後、FIA-F4を経て、全日本F3にステップアップ。戸田レーシングで2年間を戦い、昨年は初優勝を果たす。勝てなかったレースでも、随所で印象的な走りを見せ、ステップアップは確実かと思われていた。ところが、昨年12月のルーキーテスト直前まで、都史樹がスーパーフォーミュラに乗れるチャンスはなかった。「GT300しか乗る物が決まっていなくて、もうフォーミュラのキャリアは終わりだと思っていました。夢を諦めなくちゃいけないかなと思っていましたね」と都史樹。だが、突如、オーディションのチャンスがやって来た。そこで初ドライブながらトップレベルの速さを見せ、ステップアップのチケットを勝ち取ったのだ。デビュー決定の知らせが来たのは、クリスマスの頃。思わぬプレゼントに心が躍った。

迎えた今年のシーズン。都史樹は、開幕戦から予選でホンダ勢最速のタイムを叩き出す。同じホンダ勢の中で、牧野や福住には、いつも一歩遅れてきた。”自分も出たい”と恋い焦がれた海外のシリーズに出場するチャンスもこれまで巡ってこなかった。でも、ホンダドライバーに与えられる数限られた国内トップフォーミュラのシートに座れたのは、大きな飛躍のきっかけ。ここまで予選での速さが上手くレース結果に繋がっていないが、ここで諦めるわけには行かない。得意の鈴鹿では”どちらか1戦でもいいから、自分の持っている力を出したい”。普段は穏やかな口調で落ち着いた雰囲気の都史樹だが、揺るぎない決意を心に秘める。いざステアリングを握った時、その決意がどのように花開くのか。期待は高まる。

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